季節の言葉

四季折々の言葉や行事を綴っていきます

和風月名って何?意味と由来を解説!

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古くから日本人は月の名前をその季節に応じた呼び方で呼んできました。それを和風月名といいます。

 

睦月、如月、弥生といった呼び方がそれにあたります。普段はさほど使う機会がないので、すべての呼び方をご存知の方は多くないのではないでしょうか。

 

実は和風月名は旧暦の異称です。旧暦でも2月、3月など、月を数字で呼んでいたようですが、日本ではこの他に月を表す言葉として和風月名が使われていました。

 

和風月名が表す季節感が日本人の生活感覚と合致していたため、数字で表される月名とは別に昔から使われてきたといわれているのです。

 

ここでは、和風月名について解説していきます。

 

和風月名とは何か

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和風月名は既述の通り、旧暦で使われてきた月の異称です。そのときどきの季節や行事を表す言葉として数字の月名とは別に使われてきました。

 

しかし、明治6年新暦が導入されてからは、和風月名の表す意味が新暦との間でずれを生じることが多くなりました。それまで使われていた旧暦は月の満ち欠けに太陽の動きを加味して作られた暦であり、現在使われている太陽暦とは1、2ヵ月ほどのずれがあるのがその理由です。

 

たとえば、和風月名のうちの弥生といえば、新暦では3月を意味し、まだ寒い日が続きますが、旧暦では新暦上の3月下旬から5月上旬頃。すでに寒さも終わっていて、草木が生い茂る初夏に入っています。

 

弥生の意味は草木が生い茂る月とされており、旧暦ならば季節の進行とぴったりと合った言葉ということがわかります。しかし、新暦ではまだ春なかば。かなりの違いがあるのです。

 

事ほど左様に、和風月名と現在使われている新暦との間にはずれがあります。しかし、どれでもなお、和風月名はおりにふれて使われ続けているのです。使う暦は違っても日本人の美意識は変わらない、というべきなのでしょうか。

 

和風月名の月ごとの名称と意味

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和風月名の月ごとの名称と意味は次の通りです。ただし、和風月名には様々な由来があり、ここではそのうちの代表的なものを紹介します。

 

1月 睦月(むつき)

正月に親族一同が集まって仲睦まじく過ごすところから呼ばれる。

 

2月 如月(きさらぎ)

寒さをしのぐために衣をさらに着るところから呼ばれる。その他に生更木の字をあてて草木が生え始めるときという意味があるともいわれている。

 

3月 弥生(やよい)

草木が生い茂る時期という意味で呼ばれている。

 

4月 卯月(うづき)

卯の花が咲く時期という意味でいわれている。新暦では卯の花が咲く時期は5月から6月。

 

5月 皐月(さつき)

田に早苗を植える月という意味からいわれる。

 

6月 水無月(みなづき)

田に水を引く月という意味で水無月と呼ばれる。水無月の無は「~の」という意味で水の月を表す。その他に、文字通り水が無い月という意味もあるとされている。

 

7月 文月(ふみづき)

稲穂が実る月(穂含月:ホフミヅキ)というところから文月と呼ばれるようになったとされる。この他に、七夕にちなんで書道上達のため短冊に文字を書く行事が行われた文被月(フミヒロゲヅキ)から呼ばれるようになったともいわれている。

 

8月 葉月(はづき)

旧暦の8月では、すでに秋に入っており、樹々の葉が落ち始める時期とされるところから葉月と呼ばれる。

 

9月 長月(ながつき)

新暦では10月の初旬から11月初旬にあたる。すでに秋分の日を過ぎており、夜が長くなるところから夜長月と呼ばれ、それが転じて長月となったといわれている。

 

10月 神無月(かんなづき)

10月は年に一度、出雲大社に全国の神々が集まる月とされ、出雲地方以外には神がいなくなるため神無月と呼ばれるようになったとされる。ちなみに出雲地方では神在月と呼ぶ。

 

11月 霜月(しもつき)

新暦では12月初旬から1月初旬の時期にあたり、霜が降り始めるところから霜月と呼ばれるようになったとされる。

 

12月 師走(しわす)

師である僧侶が法要のため、走り回るという意味で師走と呼ばれるようになった、というのがもっとも有名な説。師には僧侶の他に御師と呼ばれる神社で参拝者の世話をする人や、学校の先生なども含まれるとされている。 

 

まとめ

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和風月名は、もともとは古代中国から伝わったとされていますが、正確なところはわかっていません。しかし、日本人は季節の行事にあわせる形で言葉を作り出し、使ってきました。月の呼び方を単に数字で数字で表すだけではなく、詩として残したといってよいかもしれません。

 

初春と早春の違いって何?意味と使い方を解説!

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初春は正月に使われることが多い言葉です。しかし、立春以降を時期ごとにわけた初春、仲春、晩春といわれる三春のうちにも入っており、春の始まりを表す言葉としても使われています。なぜこのような使い方をされているのかご存知ですか。

 

また、早春は春が始まる時期を意味する言葉ですが、初春とは何が違うのでしょうか。

 

実は、初春は暦のあり方によって使われる時期と意味が二つに分かれてしまった経緯をもっています。これに対して早春は変化する季節を表すのみの言葉です。

 

春の始まりにはどちらを使ってもよいのですが、初春は正月をも連想させるので少々紛らわしいかもしれません。

 

ここでは、初春と早春の違いについて解説します。

 

初春の意味と使い方

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一般的に初春は正月を意味します。歳時記の新年の部には、正月を表す言葉として、新春や迎春、明の春、今朝の春などが載っています。いずれも年が明けためでたさを示すために「春」の文字が使われているのですね。

 

これはもともと、正月を祝ったのが1月の終わりから2月の終わりにかけての頃だったことの名残だといわれています。旧暦が使われていた時代、正月は実際の春の始まりにあたる時期と重なっていたのです。

 

そのため初春といえば正月を指す言葉といわれてきたようです。それが明治時代になって新暦が使われるようになってもそのまま残ったのでした。すなわち、実際の季節とは関わりなく、正月行事を意味する言葉として使われてきたのです。

 

一方、初春は肌感覚でいう季節を表す言葉としても使われています。既述した通り、季節の進み具合を3つに分けた三春の始めにくるのが初春です。歳時記の春の部にも初春が登場します。

 

歴史的な経緯のうえから決められてきた暦上の春と、季節のうえでの春が別々の意味で使われているのが初春なのですね。

 

早春の意味と使い方

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早春は文字通り、春の始まりのころの季節をいう言葉です。使われる時期としては2月初めから3月初めといわれています。歳時記には2月いっぱいまで、とも書かれています。

 

いずれにせよ、立春も過ぎ、暦のうえでは春が立っているけれど、まだまだ寒い日が続いている時期です。時折、陽の光や吹く風に暖かさを感じることがあっても、すぐにもとの寒さに戻ってしまう。そのような時期を表しているのです。

 

同じ時期を表す言葉に「春浅し」というものがありますが、こちらは早春よりも、使われる期間が少し長いとされているようです。また語感も柔らかく、早春が硬い氷だとすれば、春浅しはそれが少し緩んで融け始めたところといったイメージでしょうか。

 

立春を過ぎてからまだ日も浅く、寒風が吹きすさぶなかを身を縮めて歩く時期に使う言葉が早春といえるでしょう。

 

初春と早春の違い

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初春は旧暦から新暦へと暦の扱い方が変わったことによって、新年と春との2回に分けて使われることとなった言葉です。

 

歳時記の新年の部で使われる初春は、気候を表す言葉ではありません。正月のめでたさを示した言葉なのです。一方、春の部で使われる初春は気候を表しています。

 

初春は正月行事と気候変化の二つの意味をもった言葉であり、これに対して早春は変化する気候を表す言葉です。両者の違いはこの点にあります。

 

まとめ

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旧暦で使われていた言葉が、新暦になってもそのまま使われ続けることで、二つの違った意味をもつようになる。初春はそのような言葉の一つといえるでしょう。

 

季節の変化でいえば、初春も早春も同じ時期に使われる季語として歳時記に載っています。しかし、早春のほうが使われる頻度は高いようです。初春が正月と同じ意味で使われることのほうが一般的となっているからかもしれません。

 

 

 

立春は春の始まりって本当?正月との違いを解説!

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立春は春の始まりといわれます。まだまだ寒い季節ですが、立春という言葉を聞くだけで何だかほっこりする、という方は多いことでしょう。もうすぐ暖かな春がやってくるという期待に胸が膨らむからかもしれません。

 

ただ、春という言葉は正月にも使われます。新春、迎春、初春など様々ありますが、冬のさなかに春という言葉が使われているのです。それでは正月の春と立春の春とは何が違うのでしょうか。また、どちらが春の始まりとなるのでしょうか。

 

実は両者の違いは暦と二十四節気と呼ばれる季節ごとの区切りを表す単位の使われ方によるものです。大雑把にいってしまえば、暦上の春と二十四節気上の春との違いとなります。

 

ここではその点についてくわしく解説します。

 

立春の意味

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立春とは二十四節気上の季節の呼び名の1つで春の始まりをいいます。

 

二十四節気は古代中国で使われていた季節を表す言葉です。太陽の動きをもとに作られた季節の区分であり、農作業や日々の生活の目安として使われてきました。

 

昼と夜の長さが同じになる春分秋分、昼がもっとも長い夏至、反対に夜がもっとも長い冬至の二至二分を中心に、立春立夏立秋立冬の四立、さらにそれぞれの間に入る雨水とか処暑とかいった節気から成り立っています。

 

立春二十四節気の最初にくる呼び名です。暦上では2月4日頃となります。太陽の動きに左右されるため、毎年同じ日とは決まっていません。注意すべきは立春はその当日のみを指す言葉ではないという点です。

 

二十四節気では立春の後には雨水がきます。この雨水までの期間を立春と呼ぶのです。

 

立春は肌感覚からいえば、まだまだ真冬といえるでしょう。しかしこの日が春の始めとされるのは冬至春分の中間点にあたるからです。

 

冬至は冬の中心となります。しかし、実際に寒くなるのは冬至から1、2ヵ月後です。太陽光によって地表温度に影響がでてくるまでには一定の時間がかかるからです。

 

同じことが立春にもいえます。暖かくなるにはまだ日数がかかりますが、冬至春分の中間にあるところから立春が春の始まりとされているのです。

 

ちなみに2021年の立春は2月3日となります。

 

正月の「春」との違い

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立春の「春」と正月の「春」は性質が違います。既述のとおり、立春の「春」は太陽の動きに基づいた呼び方です。しかし、正月の「春」は月の満ち欠けを中心とした旧暦による呼び方となります。

 

旧暦では月が隠れる新月の日を月の始まりとしています。もともと古い時代の日本では1月に入って最初の満月の日を正月として祝っていました。現在、小正月と呼ばれる日がそれにあたります。

 

やがて1月1日の新月の日を正月とする中国式の考え方が取り入れられるようになり、さらには明治時代になって導入された新暦によって1月1日が正式な正月とされたのです。

 

ただ、新暦と旧暦とでは約1ヵ月のずれが生じます。旧暦1月は新暦では2月です。そのため、旧暦の正月が立春と重なる春の始め頃であったのに対して、新暦ではまだ真冬ということとなりました。

 

けれども、旧暦で使われてきた言葉はそのまま新暦でも使われました。それが現在の正月で使う「春」なのです。いわば、人間の都合に合わせて使われてきたのが正月の「春」といえるでしょう。

 

立春の「春」が自然の運行に見合っているのに対して、正月の「春」は新暦に合わせて使われる人造のものなのです。

 

「春」は立春から始まる、というのが自然の運行に則した考え方かもしれません。

 

立春の行事

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立春に行われる代表的な行事には次のものがあります。

立春大吉

立春の日に禅宗の寺院では立春大吉と書いた札を貼ります。これには魔除けの意味があるとされています。立春大吉は左右対称となる言葉であるところから、門から入って来た鬼がこの札を見てまだ入っていないと勘違いをして出て行くというのです。

 

邪気の象徴である鬼を払う言葉として春の始めに使われているのですね。

 

立春大吉の札は禅宗の寺院だけではなく神社でも扱っています。また、自分で書いて自宅の玄関や部屋の扉などに貼っても良いようです。

 

若水

立春の朝、井戸から汲んだ水を若水と呼び邪気を払うだけではなく、人を若返らせる力をもつとされてきました。宮中では立春の日に若水天皇に奉じる行事が行われていたとされています。

 

現在では元旦の朝汲む水のことを指すことが一般的となっていますが、もとは立春の行事だったのですね。

 

立春の縁起物とされている食品や飲み物

春が始まる立春には幸運を呼び込む縁起物として供されるようになった食品や飲み物がいくつもあります。ここでは代表的なものを紹介します。

立春大吉豆腐

豆腐には邪気を払う力があるとされてきました。そこで立春前日の節分と立春当日に豆腐を食べて、邪気を払い福を呼び込むことが行われています。このときに食べる豆腐を立春大吉豆腐と呼んでいます。

立春朝搾り

立春の早朝に搾ったばかりの日本酒を頂くことで春の始まりを祝うものです。もともと日本酒の販促を目的として始まったものですが、搾ったばかりの日本酒を神主にお祓いをしてもらうことで縁起物としての地位を確立していきました。

立春生菓子

立春の朝作った生菓子を頂いて幸運を呼ぼうという縁起物です。代表的なものとして桜餅やうぐいす餅があります。また、立春大福や立春大吉餅などもあります。

 

まとめ

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立春は正月とは違って実質的な春の始まりを表す言葉です。まだまだ寒い時期ですが、ときおり陽の光にまぶしさを感じる時節でもあります。縁起物と呼ばれる生菓子をつまみながら、春を感じてみるのもよいのではないでしょうか。

 

 

 

節分ってどんな行事?意味と由来を解説!

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節分といえば豆まきをする日というのが一般的でしょう。その他には恵方巻を食べるとか、柊鰯を飾るとかいうことを思いつく方も多いと思います。

 

しかし、なぜそのような行事が行われているのかご存知でしょうか。

 

実は節分は災害除けや延命長寿を願う儀式と災害や悪疫を運んでくる悪鬼を追い払う儀式とが一緒になったものといわれています。

 

もともとは別の行事だったものが年を経るにつれて同化し、江戸時代には今の形になったとされているのです。

 

そこで、ここでは節分の由来と豆まきの意味、さらには節分に行われる行事のいくつかについて解説します。

 

節分の由来

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節分はもともと季節が変わる最後の日を指す言葉として使われてきました。いわゆる立春立夏立秋立冬の前日がそれぞれに節分と呼ばれていたのです。それが現在では立春の前日を除いてはまったくといってよいほど使われていません。

 

理由は立春が1年のうちでも特別な日とされたところにあります。日本では古くから、立春は新しい年の始まりといわれ、いわば正月と同じ意味をもっていました。また、もともと季節の変わり目には邪気が入り込むともいわれてきました。

 

年の初めと同じ意味をもつ立春の前日に邪気を払うことで、その年の災害や悪疫の発生防止を願ったのです。そのため、立春前日の節分は特に重要視された行事でした。

 

立夏立秋といった他の季節が変わる前日の節分とは意味合いが違っていたのです。節分といえば立春前日のこと、と考えられるようになったのにはこのような経緯がありました。

 

なお、節分となる日は決まっておらず、太陽の運行によって左右されます。ちなみに2021年の節分は2月2日です。

 

豆をまく意味

立春に豆をまくのは、その行為によって邪気を払うことができるとされるためです。

 

日本では平安時代に「追儺」と呼ばれる行事が行われていました。中国から伝わったとされるこの行事は、12月31日大晦日の夜に邪気を払うものでした。「追儺」では豆をまくことはしません。陰陽師が邪気払いの祭文を読み上げた後、方相氏、侲子と呼ばれる神の使いによって悪鬼が追い払われる様が演じられます。

 

豆をまいて邪気を払うことが行われ始めたのは室町時代。豆は「魔滅」とも呼ばれ魔を滅するものと考えられたのです。豆まきにはこの「魔滅」を魔の目、すなわち「魔目」にあてて魔を退散させる意味がありました。

 

この豆まきと追儺が合わさって現在の豆まきの行事が出来上がったと考えられています。

 

豆まきの際に「鬼は外」「福は内」と唱えるのは邪気を払い、福を呼び込むためのものなのです。

 

豆まきの由来は簡単な語呂合わせのようですが、昔の人は小難しい理屈よりもこのようなところに悪鬼退散の願いを込めたのでしょう。

 

節分に行う行事いくつか

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節分に行われる行事には豆まきの他に次のものがあります。

 

恵方巻

節分の夜に恵方の方角を向いて巻きずしをひと口に食べることで幸運を招き入れることができるといわれています。食べる際には無言でいることが必要ともされます。ただし、恵方巻の由来については様々な説があり、確定したものはありません

ちなみに恵方とは、その年の歳神(歳徳神ともいいます)がいるといわれる縁起の良い方角のことです。

 

柊鰯

節分の日、玄関に魔除けとして飾られる飾り物のことです。柊はその尖った葉の先でやって来る鬼神の目を刺して退散させます。鰯はその匂いを鬼神が嫌ってやって来ないといわれます。

 

この2つを組み合わせて邪気を払い、新しい年を迎えたのです。

 

福茶

節分の日には、豆まきに使う豆を使って作る福茶が飲まれてきました。福茶とは大晦日や元旦に無病息災を願って飲むお茶のことですが、節分にも同じ意味合いで飲まれています。

 

材料は豆の他に、昆布と梅干しのみ。これらをお湯またはお茶に入れて飲むのです。

 

まとめ

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節分はもともと季節を分けるものとして使われてきた言葉です。春の始まりとされる立春のみが特別な日と考えられたことから、その前日となる節分も合わせて特別な日となりました。

 

現在よりも災害や病気などへの備えが不十分だった昔、人々ができるのは神に無事を祈ることでした。それが季節の行事として形を変えながら現在に続いているのです。

昔の人の願いに思いをはせながら節分の行事を行ってはいかがでしょうか。

 

小正月って何?意味と由来を解説!

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小正月はよく聞く言葉ですが、具体的な意味や正月との違いについてはご存知でしょうか。

 1月半ばに行われる行事ということぐらいは知っているけれど、それ以上のことはよくわからない。ましてや正月との違いとなるとちんぷんかんぷんだ。

 こういった方は多いかもしれません。

 実は小正月とは正月を終わらせるための行事となります。正月に迎えた歳神を送るとともにその年の無事安穏を願うことを主な目的として行われるのです。いわゆるどんど焼きを行うのもこのためといわれています。

 ここではそんな小正月の意味と由来について解説します。

 

小正月は何をする日なのか

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小正月とは歳神を送るとともに、その年の安穏を願う日となります。その際に行われる行事は地方によって呼び名が違いますが内容はほぼ同じようです。

 代表的な小正月の行事には次のものがあります。

 

どんど焼き

正月飾りである門松、注連飾り、また書初めなどを青竹や藁、杉などで組んだやぐらと一緒に燃やす行事です。1年間の無病息災と五穀豊穣、無事安穏を祈ります。このときに立ち昇る炎とともに正月に迎えた歳神が帰っていくとされているのです。

また、燃やした書初めの煙が高く昇っていけば字がうまくなるともいわれています。

ちなみにどんど焼きは別名を左義長どんどん焼き道祖神祭などともいい、地方によって呼び方が違います。

餅花 

ヤナギ、エノキなどの枝に紅白の小さな餅を飾り付けたものです。養蚕が盛んだった東日本では餅を繭玉の形にして飾るので繭玉とも呼ばれています。いずれもその年の五穀豊穣を祈る予祝の意味をもっていました。

小正月には神棚だけではなく、玄関や応接間などにも飾られます。

民俗学者宮本常一は、トイレに飾られている餅花を見たことがあると、その著書『民間暦』のなかで書いています。宮本常一が書いているのは南九州での出来事ですが、そこでは餅花が正月の門松にあたるものとされていたとの記載もあります。

小豆粥

小正月には小豆粥を食べる風習があります。小豆の赤い色には古くから邪気を払う力があるとされてきました。小正月に小豆粥を食べることで邪気を払いその年の幸運を願ったのです。小豆には疲労回復や便秘の改善などに効果があるとされるビタミンB1や食物繊維が多く含まれており、健康維持のためにもメリットのある食材です。

粥占

小正月には粥を炊いてその年の吉凶を占う粥占という行事が行われてきました。炊いた粥に棒を入れ、そこに付いた米粒の数で占うとされています。一般家庭で行う行事ではなく、各地の神社で小正月の祭礼として行われています。

 

小正月はいつから始まったのか

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小正月の行事が始まった正確な時期はわかりません。日本人は古くから月の満ち欠けを基準として暮らしてきました。新月から満月、そして再び新月となる日までを1ヵ月としていたのです。

なかでも満月は照明などなかった当時の人々にとって神聖な日とされてきました。そのため1月になって初めての満月となる1月15日は特に神聖な日とされ、この日を正月としていたといわれています。現在、小正月と呼んでいる日が本来の正月だったのです。

それが現在のように変わったのは、中国と同じく新月となる1月1日を正月とするようになってからです。さらに明治時代になって新暦を使うようになってからは1月1日を「大正月」1月15日を「小正月」と呼ぶようになったといわれています。

 

「大正月」と「小正月」との関係

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「大正月」と「小正月」とはセットになっています。「大正月」に歳神を迎え、「小正月」に迎えた歳神を送るという関係になっているのです。

「大正月」に正月飾りを飾り、「小正月」にどんど焼きを行うのはそのための行事といえるでしょう。「小正月」が終わることで正月の行事が終了するのです。

なお、「小正月」を「女正月」と呼ぶことがあります。これは「大正月」で忙しく働いた女性に休んでもらうのが「小正月」だから、といった意味からきているようです。

 

まとめ

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小正月」の意味と由来について解説してきました。華やかな正月と比較すると幾分か地味な行事ですが、古くから日本人がもっていた自然への思いを形にしたものとして大切にしていきたいものです。

 

大晦日は何をする日?意味と由来を解説!

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1年最後の日となるのが大晦日。年が変わる前にその年に起きた出来事を思い返し来たるべき新たな年に思いをはせる。大晦日はそんな特別な思いを多くの人に抱かせる日だと思います。

 

それでは大晦日はどんな意味をもつ日なのかご存知でしょうか。

 

実は大晦日は単に年が変わるというだけではありません。新しい年の幸運を運んでくる歳神を迎える行事といった意味ももっているのです。

 

ここでは大晦日の由来と意味について解説し、さらにその日に行われることを紹介します。

 

晦日の由来

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晦日の由来は平安時代にまでさかのぼるといわれていますが正確にはわかっていません。昔の日本ではその年の最後の日に幸せを運ぶ歳神が家にやってくると信じられていました。人々は歳神をつつがなく迎えることで一家の幸福を願ったのです。

 

歳神を迎えるには決められた作法があり、それに則ることが必要とされました。門松やしめ縄といった正月飾りを飾ったり、一晩中寝ずに元日の朝を迎えたりといったことがそれにあたります。

 

晦日は年があらたまるだけではなく歳神を迎える日でもあったのです。

 

晦日の意味

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晦日は「大」と「晦日」の2つの言葉をあわせたものです。「晦日」は旧暦で使われた言葉で毎月の最後の日のことをいいます。1月31日とか6月30日とかいう日のことですね。

 

旧暦は月の満ち欠けを中心にして作られています。月が隠れて見えないときを新月、すべて見えるときを満月と呼び、新月から満月、満月から再び新月へと繰り返す日数を1ヶ月と定めているのです。

 

そのため、1ヶ月が終わる日は新月となって月は隠れてみえなくなっています。「晦日」の「晦」の字には月が隠れるという意味があり、ここから月の最後の日を「晦日」と呼ぶようになりました。

 

また「大」は文字通り大きいという意味なので、これと「晦日」が合わさって1年の最後の日を「大晦日」と呼ぶようになったのです。

 

なお、「大晦日」の前日、12月30日のことを特に「小晦日」(こつごもり)と呼びます。通常の月の最後の日は「晦日」ですが、年が変わる日の前日ということでこのような呼び方をしているのです。

 

また「小晦日」は俳句の季語にもなっています。

 

晦日にすること

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晦日は歳神を迎える日とされているため、前述したように正月飾りを飾ります。正月飾りには、

  1. 門松
  2. しめ縄
  3. 鏡餅

 があります。

 

いずれも歳神の依代と考えられていますが、それぞれに違った役割をもたされています。

 

門松は歳神に自分の家を指し示す道しるべです。歳神は門松を目印にやって来るとされるからです。しめ縄には歳神がいる神聖な場所とそれ以外の場所とを隔てる役割があります。しめ縄を飾ることによって結界を作っているわけです。

 

また鏡餅は歳神への供え物であり、居場所ともなります。

 

なお、古くから大晦日の晩に寝ないで歳神を迎えるという風習がありました。しかし現在ではほとんど行われていません。

 

明治時代に行われた天皇肖像画御真影)を拝む拝賀式や元旦に小学校に登校する元旦節といった行事を経て、鉄道の発達に伴い各地の神社仏閣への初詣が定着。歳神を待つというよりもこちらから参賀するという形が一般化したためです。

 

この他、大晦日にする行事としては

  1. 年越しそばを食べる
  2. 除夜の鐘を聞く

といったものがあります。年越しそばを食べるのは運気を上げて幸運を呼び込むという意味があり、除夜の鐘を聞くのは108つある人間の煩悩を絶つためといわれています。

 

いずれも新年を希望に満ちたものとするために行なわれる行事といえるでしょう。

 

晦日の呼び方いろいろ

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晦日は俳句の季語となっており、傍題として次の呼び方があります。

 

大三十日

袖濡れて硯洗へり大三十日 水原秋櫻子

大年

大年の日落ち流水尚見ゆる 中村草田男

おおつごもり

吹き晴れし大つごもりの空の紺 星野立子

 

まとめ

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晦日は歳神を迎えて新しい年の幸を願う日でした。現在では歳神について意識する人は少ないかもしれませんが、新しい年を今年よりももっと良い年にしたいとの思いは変わらないでしょう。

 

その思いを大切にして清清しい新年を迎えたいものですね。

 

年越しそばはいつ食べるのがいい?由来とあわせて解説

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晦日の定番、年越しそば。これを食べないと年が明けない、という方もおられるのではないでしょうか。昔から伝わる日本の伝統文化ですから大切にしていきたいですよね。

 

ところで、年越しそばを食べるのに決まった時間帯はあるのだろうか。そんなことを考えたことはありませんか。割と時間に関係なく食べている人は多いですが、本当はどうなのか。

 

また、何のために年越しそばを食べるのか、といった疑問をもつ方もいるかもしれません。

 

そこで、ここでは年越しそばについて食べる時間帯と由来とを解説します。

 

年越しそばを食べるのはいつ?

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年越しそばを食べる日は基本的に大晦日の12月31日です。年越しそばを食べる行為にはその年の災いを切るという意味があるといわれています。そのため、大晦日を過ぎてからは食べないほうがよいとされているのです。

 

しかし年明けに食べるものとされている地域もあります。福島県会津地方では元旦に、新潟県では元旦や1月14日に食べるところがあるようです。年越しそばを食べる日には地域差があるといえるでしょう。

 

年越しそばを食べる時間帯は決まっていません。大晦日のうちであればいつ食べてもよい、とされています。そのため、夕飯としてだけではなく、昼食でもかまいません。間食や夜食などもOK。

 

もともと1年のけじめという意味で食べられるようになったという説もあり、大晦日中なら食べる時間は問われないのです。

 

まとめると、年越しそばを食べる日は地域によって差はあるものの一般的には12月31日の大晦日、食べる時間帯は大晦日ならいつでもよい、ということが出来ます。

 

年越しそばの由来は?

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年越しそばが食べられるようになった由来は大きく5つにわかれます。

 

1.寿命を延ばし家運を伸ばすため

細く長いそばの形から長生きと家運伸長の願いが込められたといわれています。

2.1年間の苦労や災いを切るため

切れやすいそばの性質から、その年の不幸をすべて切り捨てて新年を迎えたいという願いが込められたとされています。

3.健康になるため

そばは健康によいとされているところから、健康を願って食べられるようになったとされています。

4.金運を上げるため

昔、金銀細工を作る職人は散らばった金粉を集めるのにそば粉を使っていました。そこからそばと金運を上げたいという願いとが結びついたといわれています。

5.運気を高めるため

鎌倉時代、「世直しそば」と称して苦しむ人々にそば餅をふるまったところ、その人たちに運がむいてきたとされ、そこからそばが食べられるようになったといわれています。

 

いずれが正解ということではなく、そばが縁起物として日本人に親しまれてきた背景にこのようないくつもの由来があったと考えるのがよいのでしょう。

 

ちなみにそばが縁起物として広く食べられるようになったのは江戸時代半ば頃とされています。

 

カップ麺ではだめなの?

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年越しそばは家で作るのが一般的とされていますが、その代わりにカップ麺で代用してもよいのか、といった疑問があります。

 

結論からいえば、カップ麺でもかまわないとされています。年越しそばの材料には何らの禁忌はありません。あれはだめ、これはだめということはなく、乱暴にいってしまえばそばであればよいのです。あとは個人の好みの問題といってよいでしょう。

 

手間をかけてしっかりとした年越しそばを作るのもよし、時間がなければ湯を注ぐだけで完成のカップ麺でもよいのです。

 

まとめ

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年越しそばは1年間無事に過ごせたことに感謝し、次の年を元気で健康に過ごせるようにと願う庶民の思いがつまった食べ物といえます。その年の最後の日にそばをすすりながら新しい年へ思いをはせる。そういった日本の良き伝統は大切にしていきたいものです。