季節の言葉

四季折々の言葉や行事を綴っていきます

大雪とは何か?二十四節気を解説!

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大雪とは「タイセツ」と読み、季節の変化を表した二十四節気の1つです。雪がちらつく頃を意味する小雪の次にくる節気をいいます。朝晩に限らず、日中も寒さを感じ、街には冬物のジャケットを着た人の姿が目に付くようになる時期です。

 

本格的な冬になったことを実感するのが大雪の時期となるのです。

 

ここでは、そんな大雪の意味と時期、さらに行事について解説していきます。

 

大雪の意味と時期

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大雪とは二十四節気の1つで、雪が降り積もっていく頃をいいます。東北地方の日本海側では雪に覆われるところも出てくる時期です。その反対に東京などの太平洋側では積もるほどの雪が降ることはありません。しかし、風は冷たく、暖かい飲み物が恋しくなる頃です。

 

二十四節気とは、太陽の動きを基に農作業の指標となるように考えられた暦のことをいいます。私たちの先祖は、春夏秋冬の4つの季節をそれぞれ6等分して全体を24に分け、それぞれに名前をつけて、日々の暮らしの指標としました。

 

冬の部は、立冬小雪、大雪、冬至小寒大寒の順に並んでおり、大雪はそのうちの3番目にあたります。

 

大雪の時期は、基本的に12月7日頃から12月20日頃までとされていますが、年によっては1日ないし2日程度の違いが生じます。

 

二十四節気は太陽の動きを基準にして作られた暦であるため、その日取りには毎年いく日かのずれが生じます。そのため、大雪の日取りも、そのずれに応じて決まるのです。

 

2024年の大雪は12月7日から12月20日までです。

 

さて、冬になると、大陸から冷たい空気の塊が日本に向かって流れてくるようになります。冷たい空気の塊は重く、下降気流となって高気圧を発生させます。また、この時期、日本の東側では北極から南下する冷たい空気と赤道から北上する暖かい空気とがぶつかって大気が不安定となり低気圧が発達します。

 

これらの事象があいまって、日本では冬になると西高東低と呼ばれる冬型の気圧配置に列島全体が包まれることとなります。冬型の気圧配置に包まれると日本海側では雨や雪の日が多くなり、反対に太平洋側では晴れる日が多くなります。

大雪はこの時期にあたるのです。

 

大雪の行事

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大雪は12月初旬から始まるため、新年を迎えることに関する行事が多くなる時期です。事始め・事納めや煤払い、さらには歳の市といったものが有名です。また針供養も行われます。

 

事始め・事納め

事始めと事納めは、歳神を迎える行事と送り出す行事の両方をさす言葉です。12月8日に行われるのが事始め、2月8日に行われるのが事納めです。

 

新年になると福をもたらす歳神がやってくるといわれています。そのため、年末になると家々では歳神を迎える準備を始めました。その日が12月8日であり、歳神を送り出す日が2月の8日です。

 

また、事始め・事納めにはもう1つの意味があります。歳神を送り出す2月8日は人々が日常の仕事を始める日とされました。そして12月8日には日常の仕事を終える(納める)とされてきたのです。

 

このように事始め・事納めには歳神を迎え、送り出すことと、日常生活を始め、終わらせるといった2つの側面があるのです。

 

ちなみにこれらを含めて「事八日」(コトヨウカ)と呼びます。

 

なお、針供養は「事八日」に行われる行事で1年間お世話になった針を供養し、裁縫がうまくなるようにと願って行われる行事です。

 

煤払い

煤払いとは大掃除のことです。昔の日本では家の中に竈や囲炉裏があり、そこから出る煤を年末に払ったところからこの名があります。また「払う」には清めるといった意味があります。煤を払うことで家の中を清め、そこに歳神を迎えるというという意味が煤払いにはあるのです。

 

煤払いが行われるのは12月13日です。この日は鬼宿日と呼ばれ、鬼が宿にいて外に出ないため、何をするにも縁起の良い日とされてきました。また、江戸時代、江戸城の煤払いが行われたのも12月13日。

 

そのため、煤払いは毎年12月13日に行われるようになったのです。

 

歳の市

歳の市とは新年を迎えるにあたってそろえておくべき品物、たとえば、門松しめ飾り、お供え物、お節料理の具材といった様々な物を売る市が神社やお寺で立つことをいいます。神社仏閣で市が立つのは、新しい品物をそろえることが、歳神を迎えるための清めにつながるとされているからです。

 

現在では、正月用品がならぶのはデパートやスーパーなどですが、新年を前にした活気あふれる景色は昔も今も変わらないといえるでしょう。

 

まとめ

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大雪は、日本列島が冬型の気圧配置に覆われ、日本海側では雪が降り積もり、太平洋側では冷たく乾いた空気に包まれる時期です。

 

また、年末になり、大掃除や新年の用意に忙しくなる時期にもあたります。興味深いのはこれらの年末の行事は、もとは歳神を迎えるためのものであったこと。昔からの風習の意味はすたれても形は残っていることの良い例ではないでしょうか。

 

小雪とは何か?二十四節気を解説!

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小雪は「ショウセツ」と読みます。立冬が過ぎて、紅葉が散り始め、北海道や東北地方では初雪が見られるようになる季節です。ときによっては、小春日和と呼ばれる暖かな日に恵まれる日もあります。

 

秋から冬に季節が移ろっていく時期にあたるのが小雪です。

 

ここでは、そんな小雪の意味と時期、さらに行事について解説していきます。

 

小雪の意味と時期

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小雪とは二十四節気の1つで、雪がちらつき始める頃をいいます。小さな雪と書くように、まだ、積もるほどの雪が降ることはない時節です。

 

二十四節気とは、太陽の動きを基に農作業の指標となるように考えられた暦のことをいいます。私たちの先祖は、春夏秋冬の4つの季節をそれぞれ6等分して全体を24に分け、それぞれに名前をつけて、日々の暮らしの指標としました。

 

冬の部は、立冬小雪、大雪、冬至小寒大寒の順に並んでおり、小雪はそのうちの2番目となります。

 

小雪の時期は、基本的に11月22日頃から12月6日頃までとされていますが、年によっては1日ないし2日程度の違いが生じます。

 

二十四節気は太陽の動きを基準にして作られた暦であるため、その日取りには毎年いく日かのずれが生じます。そのため、小雪の日取りも、そのずれに応じて決まるのです。

 

2024年の小雪は11月22日から12月6日までです。

 

このように、小雪は11月下旬から12月初旬にあたりますが、この時期は日中と朝晩の寒暖の差が激しくなります。日中は小春日和の暖かさに恵まれても、夕方以降は急に温度が下がり寒くなります。そのため、体調管理に注意しなければならない時期です。

 

小雪の行事

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小雪の時期に行われる行事としては勤労感謝の日があります。また、お歳暮を贈り始める時期にもあたります。

 

勤労感謝の日

勤労感謝の日とは、国民の祝日の1つで、11月23日がその日にあたります。「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日とされる日です。

 

この日は、もともと天皇家の祭祀である新嘗祭が行われ、国民の祭日とされてきました。戦後、GHQがとった宮中祭祀と祝日とは切り離す、という方針のもとに新嘗祭勤労感謝の日と呼び名が変わったのです。

 

なお、新嘗祭とは、神々に対してその年の収穫を感謝する天皇家の行事で、現在も宮中で行われています。ここでいう収穫とは稲、麦、粟、大豆、小豆の五穀のことです。古来、五穀豊穣を祈ることは為政者の重要な務めでした。新嘗祭はそのうちの1つとして現在に受け継がれているのです。

 

新嘗祭から替わった勤労感謝の日は、農作物も含め、働くことによって得られた価値をみんなで祝い、たがいに感謝しあう日として制定されたといえるでしょう。

 

お歳暮

お歳暮は、1年のしめくくりにお世話になった方へお礼として贈るものです。贈る時期は地域によって違いがあります。東日本では11月下旬から12月20日前後、西日本では12月13日から20日前後とされています。

 

もともと、正月にやって来る歳神様を迎えるにあたってお供え物を用意する風習がありました。それが、時代とともに目上の人や商売上の得意先への贈り物として変化してきたのがお歳暮といわれています。

 

ただ、現在では虚礼廃止の観点からお歳暮の贈答を行わなくなっている企業が多くなってきています。その代わりに、お世話になった人への贈り物をする機会として利用されることが多いようです。

 

まとめ

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小雪は、冬の入り口の時期にあたります。まだ秋の風情が色濃く残っている立冬の時期からさらに進んで、肌感覚として冬の寒さを感じ始める時節といってよいかもしれません。

 

立冬とは何か?二十四節気を解説!

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冬が立つ日と書いて立冬(リットウ)と読みます。「立つ」というのは始まりという意味で、立冬とは冬が始まる日のことをいうのです。

 

また、立冬二十四節気のなかの言葉で、次の小雪までの15日間をさします。立冬には冬になった日と二十四節気の次の節気までの期間との2つの意味があるのです。

 

この時期は、木枯らしや霜柱といった冬の寒さをイメージさせる気象現象がみられる一方で、小春日和と呼ばれる暖かく穏やかな日に恵まれるときもあるのが特徴です。

 

さらに、野山を染める紅葉も最盛期となり、名所と呼ばれる場所は多くの観光客で賑わいをみせます。

 

ここでは、そんな立冬について解説していきます。

 

立冬の意味と時期

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立冬とは二十四節気の1つで、冬が始まる日であり、また冬の最初の時期のことをいいます。

 

二十四節気とは、太陽の動きを基に農作業の指標となるように考えられた暦のことです。私たちの先祖は、春夏秋冬の4つの季節をそれぞれ6等分して全体を24に分け、それぞれに名前をつけて、日々の暮らしの指標としました。

 

冬の部は、立冬小雪、大雪、冬至小寒大寒の順に並んでおり、立冬はそのうちの最初となります。暦上の冬が始まる時期を表す言葉なのです。

 

立冬の日取りは毎年変わりますが、基本的に11月7日頃から11月21日頃までがその時期にあたるとされています。

 

二十四節気は太陽の動きを基準にして作られた暦であり、その日取りには毎年いく日かのずれが生じます。そのため、立冬の日取りも、そのずれのなかで決まるのです。

 

2024年の立冬は11月7日から11月21日までです。

 

さて、立冬は冬が来たことを告げる木枯らし1号が吹く時期でもあります。木枯らし1号は、西高東低の冬型の気圧配置のもと、最大風速8m/s以上の北よりの風が吹いたときに発表されるものです。なお、発表されるのは東京地方と近畿地方だけで、他の地方での発表はありません。

 

なお、木枯らし1号とされる風が吹くのは10月半ばから11月末までとなっており、その時期を過ぎるとその年の木枯らし1号は吹かなかったとされます。

 

また、冬の使者とされる木枯らし1号が吹く一方で、立冬の時期には風の穏やかで暖かな日に恵まれるときがあります。そのような日は小春日和と呼ばれ、散歩にはうってつけの日です。

 

11月から12月上旬にかけては西高東低の冬型の気圧配置がゆるんだり、移動性高気圧の影響で晴天となることがあります。そんな日は風も弱く、気温は上がり、暖かくなります。小春日和とはこのような天気の日をいい、本格的な冬の到来を前に、少し心なごむ日をくれるのです。

 

立冬の行事

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立冬の時期の行事として有名なのは、七五三と酉の市です。また、旧暦10月に全国の神様が出雲に集う神在祭りも行われます。

 

七五三

子どもの健やかな成長を願う儀式として行われる七五三。儀式としては平安時代から行われていたとされていますが、現在のような形になったのは明治時代に入ってからといわれています。

 

毎年11月15日を中心に、対象の年齢となる子どもとともに氏神様にお詣りをするのが一般的で、その後、食事会をする家庭も多いようです。

 

酉の市

開運や招福、さらに商売繁盛を祈って毎年11月の酉の日に行われる行事が酉の市です。もともとは酉の祭と呼ばれたお祭りでしたが、祭りに市が立ち、様々な物が商われるようになってから呼び方が酉の市に変わったといわれています。

 

11月に酉の日が3日ある年を三の酉、2日の年を二の酉と呼び、この日に各地の寺や神社で酉の市が開かれるのです。

 

酉の市の呼び物は熊手です。熊手は落ち葉をかき集めるための道具ですが、それが金銀をかきこむ縁起物として一般に知られるようになりました。最初に小さな熊手を買い、それ以降、年ごとに大きな熊手を買うのが礼儀とされています。これには、年々、商売が繁盛するようにとの願いが込められているのです。

 

神在祭

旧暦10月は全国の神様が出雲大社に集まるため、神無月と呼ばれています。しかし、神様が集まる島根県出雲地方ではその反対に旧暦10月を神在月と呼び、神在祭が行われます。

 

全国から集まった神々は、男女の縁結びを始めとする人生諸般のことどもを神議りという会議にかけて決めるとされており、神在祭はその間行われる行事です。

 

まとめ

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立冬は、冬の気配が近づいてくる時節です。街を行き交う人たちの服装も徐々に厚手のものが目に付くようになります。

 

ただ、そのまま一息に冬になってしまうのではなく、小春日和のように暖かな陽気に恵まれる日もあります。本格的な冬を迎える前の準備期間が立冬ともいえるでしょう。

 

霜降とは何か?二十四節気を解説!

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霜降は「ソウコウ」と読みます。時折、「シモフリ」と読んでしまいますが、これでは霜降り肉のこととなってしまい、意味としては間違いです。

 

霜降は霜が降りる時期という意味の言葉で、秋から冬に変わる時節を表したものとなります。霜が降りると農作物に被害がでるところから、地域によっては霜注意報が出されて、注意が呼びかけられる時期です。

 

また、朝晩はめっきりと寒くなり、冬の気配が漂い始める頃でもあります。

 

ここでは、そんな霜降の意味や、この時期に行われる行事について解説していきます。

 

霜降の意味と時期

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霜降とは二十四節気の1つで、早朝、草木に結ぶ露が凍って霜となる時期のことをいいます。

 

二十四節気とは、太陽の動きを基に農作業の指標となるように考えられた暦のことです。私たちの先祖は、春夏秋冬の4つの季節をそれぞれ6等分して全体を24に分け、それぞれに名前をつけて、日々の暮らしの指標としました。

 

秋の部は、立秋処暑、白露、秋分寒露霜降の順に並んでおり、霜降はそのうちの最後にあたる時節です。暦上の秋が終わることを意味する言葉となります。

 

霜降の日取りは毎年変わりますが、基本的に10月23日頃から11月6日頃までがその時期にあたるとされています。

 

二十四節気は太陽の動きを基準にして作られた暦であり、その日取りには毎年いく日かのずれが生じます。そのため、霜降の日取りもあらかじめ決まっているのではないのです。

 

2024年の霜降は、10月23日から11月6日までとなります。

 

さて、霜降は霜が降り始める時期で、農作業をするうえで注意が必要な時期でもあります。

 

農作物に霜がつくと、低温によって作物の組織が破壊され、枯れてしまいます。そのため、気象庁では霜注意報を出して警戒を呼び掛けています。

 

霜が降りるのは朝の気温が0℃以下に下がったときです。しかし、実際に霜が降りる気温は3℃以下のときとされています。これは、気温を計る高さが地上1.5mの地点であり、地表面との間で温度差が生じるためです。

 

霜降の行事

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霜降の時期に行われる行事には紅葉狩りハロウィーンが有名です。また、年によっては霜降の次の時節である立冬にかかってしまうことのある酉の市もこの時期の行事となります。

 

ここでは、紅葉狩りハロウィーンについて紹介します。

 

紅葉狩り

紅葉狩りは野山の紅葉をながめて楽しむ行事で、古くは万葉集にも「紅葉」という記載があります。また、源氏物語には「紅葉賀」という章があり、秋の紅葉の下で主人公の光源氏が青海波を舞う場面が登場します。

 

ただ、野山に出かけてその地の紅葉を楽しむ紅葉狩りが一般庶民の間で広まったのは江戸時代の中頃といわれ、それが現在まで続いているのです。

 

紅葉狩りの時期は地方によって異なりますが、早いところでは9月の下旬から、遅い場所でも12月上旬から見ごろを迎えます。

 

ハロウィーン

ハロウィーンは古代ケルト族の間で行われていた魔除けの行事です。それがヨーロッパ、アメリカ、カナダと広がっていきました。日本でハロウィーンが一般的な行事として定着したのはまだ日が浅く2000年代の前半です。

 

毎年10月31日に仮装をした子どもたちが「トリック・オア・トリート」(魔法をかけちゃうぞ)と言いながら、家々をまわり、大人たちがそれにこたえてお菓子をあげる、というのが行事主な内容となります。

 

しかし、それだけではなく親しい仲間が集まってホームパーティ―を開いたり、繁華街をおばけの仮装をして練り歩いたりして楽しむことも行われています。

 

寒露とは何か?二十四節気を解説!

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寒露とは、お彼岸も過ぎて気温も下がり、過ごしやすくなってきた時期を表す言葉です。街にはキンモクセイの甘い香りが漂い、人々の服装も赤や黄色、ブラウンといった暖色系のものが目立つようになります。

 

しかし、この時期が寒露と呼ばれるのは日中の気温が下がるためではありません。朝、草木に結ぶ露が冷たくなるところから寒露と呼ばれるようになったのです。

 

そこで、この記事では寒露の意味や時期、さらに行事についてくわしく解説していきます。

 

寒露の意味と時期

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寒露とは二十四節気の1つで、早朝、草木に結ぶ露が冷たくなり、日中の空気も冷やかに感じられる時期のことをいいます。

 

二十四節気とは、太陽の動きを基に農作業の指標となるように考えられた暦のことです。私たちの先祖は、春夏秋冬の4つの季節をそれぞれ6等分して全体を24に分け、それぞれに名前をつけて、日々の暮らしの指標としました。

 

秋の部は、立秋処暑、白露、秋分寒露霜降の順に並んでおり、寒露はそのうちの5番目の時節です。

 

寒露の日取りは毎年変わりますが、基本的に10月8日頃から10月22日頃までがその時期にあたるとされています。寒露の日取りが毎年変わる理由は二十四節気が太陽の動きにあわせて作られているためです。

 

地球は太陽の周囲を楕円形に周っているため、周期が変化します。この変化の幅によって二十四節気の日取りにずれが生ずるのです。寒露の日取りが毎年変わるのはこの理由によるためとなります。

 

2024年の寒露は、10月8日から10月22日までです。

 

さて、この時期が寒露と呼ばれるのは、草木につく朝露が冷たくなってくるためです。風のない夜には、昼間、太陽の熱によって温められた地表の空気が上空へと昇っていきます。そのため地表の温度は下がります。

 

この現象を放射冷却現象といいますが、地表の温度が下がることで空気中の水蒸気が固まって露となります。このときに生ずる露が冷たくなる時期を寒露と呼んでいるのです。

 

二十四節気のなかで、放射冷却現象によって、早朝、草木に露が結ぶのは白露の時期となります。しかし、寒露はそのときよりもさらに空気が冷え込んだ時期をいうのです。

 

ちなみに、寒露の時期よりもさらに冷え込みが激しくなると、草木の露は凍り、霜となります。霜が降りると季節は寒露から次の霜降へと進んでいきます。

 

草木に結ぶ露の変化を、季節の指標としているのが寒露の時期ともいえるでしょう。

 

寒露の行事

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寒露の期間に行われる行事として有名なのは十三夜です。

 

十三夜とは、旧暦9月13日の月を眺めて楽しむ行事をいいます。新暦では毎年10月中旬から下旬のいずれかがその日となります。そのため、年によっては十三夜とされる日が次の霜降の時期にずれこむこともあります。旧暦と新暦とでは約1ヵ月のずれがあるのでこのように日が違うのです。

 

なお、中秋の名月として知られる十五夜が満月であるのに対し、十三夜の月は少し欠けていて満月ではありません。それでも十三夜の月を尊ぶのは、延喜19年(平安時代の初め)旧暦9月13日に時の醍醐天皇が、十五夜とともに十三夜の月を愛でる宴を催したからとされています。

 

以来、月見といえば十三夜と十五夜をセットにして楽しむという風習が行われるようになりました。

 

ちなみに、十五夜の月だけを観て、十三夜の月を観ないのは片見月と呼ばれ、縁起が悪いといわれています。その理由として有力なのが、江戸時代の遊郭十五夜に遊びに来た客に十三夜にも再び来てもらうためにいわれ始めたとされるもの。

 

日本人の好きな縁起物にかけたキャッチコピーと考えるとよいかもしれません。

 

また、十五夜同様十三夜にもお供えをします。十三夜は別名を栗名月や豆名月ともいわれており、月見団子とともに栗や豆なども供えます。場合によっては月をながめながら、栗、豆を使ったスイーツを味わうのもよいでしょう。

 

まとめ

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寒露は、早朝、草木に結ぶ露が冷たくなるとともに日中の空気も冷たくなる時期です。また、年によっても変わりますが、旧暦9月13日の十三夜のお月見の時期にもあたります。

 

暑い夏が涼しい秋へと季節が進み、空気も澄んで快適な気候となる時期が寒露といえるでしょう。

 

秋分とは何か?二十四節気を解説!

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秋分といえば、お彼岸やお墓参り、といった言葉が頭に浮かぶという方は多いのではないでしょうか。また、単に秋分の日という名前の祝日と考える方もいると思います。

 

実は秋分とは季節の移り変わりを表す二十四節気のうちの1つです。次の寒露までの間の約15日間を秋分と呼んでいるのです。

 

また、秋分の日は夜と昼の長さが同じとなります。さらに秋分の日を含めた前後7日間は秋のお彼岸の時期にもあたります。

 

このように、秋分はいくつもの意味を含んでおり、二十四節気のなかでも特徴のある言葉といえるでしょう。

 

ここでは、そんな秋分について解説していきます。

 

秋分の意味と時期

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秋分二十四節気の1つです。

 

二十四節気とは、太陽の動きを基に農作業の指標となるように考えられた暦のことです。私たちの先祖は、春夏秋冬の4つの季節をそれぞれ6等分して全体を24に分け、それぞれに名前をつけて、日々の暮らしの指標としました。

 

秋の部は、立秋処暑、白露、秋分寒露霜降の順に並んでおり、秋分はそのうちの4番目の時節です。

 

秋分の日取りは毎年変わりますが、基本的に9月23日頃から10月7日頃までがその時期にあたるとされています。

 

2024年の秋分は、9月22日から10月7日までです。

 

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように秋分の頃から日中の暑さも徐々に収まり、秋の気が満ちてくる時期です。

 

また、秋分の初日は昼と夜の時間が同じとなり、この日を境にだんだんと日中の時間が短くなっていきます。反対に夜の時間が長くなってくるため、「燈火親しむ」秋へと季節も移っていくのです。

 

さらに秋分の日は国民の祝日となっています。太平洋戦争前は、この日は秋季皇霊祭が行われ、祝日とされていました。戦後、「祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ日」とされて、あらためて国民の祝日となったのです。ちなみに、皇霊祭とは皇室の祭祀で、戦前は春と秋に行われていました。なお、春に行われる祭祀を春季皇霊祭と呼び、秋季皇霊祭とともに現在も皇室の行事として行われています。

 

秋分の行事

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秋分の行事といえば、秋のお彼岸です。秋分の日を中心とした前後7日間は彼岸の時期とされ、秋分の日を彼岸の中日、その3日前を彼岸の入り、3日後を彼岸明けと呼んでいます。

 

昔から日本では西の方角に西方極楽浄土と呼ばれる場所があり、そこにはなくなった先祖がいるとされ、この場所を彼岸と呼びました。これに対して私たちが住む世界は此岸と呼ばれています。

 

彼岸の中日となる秋分の日、太陽は真東から昇り真西に沈みます。このとき、昼と夜の時間の長さは同じとなるのですが、この事象をもって日本では秋分を先祖のいる彼岸と私たちの住む此岸とが通じやすくなる日とされてきました。

 

そこで、秋分の日には先祖を供養するためにお墓参りや法要を営むようになり、その行事をお彼岸と呼んでいるのです。

 

また、彼岸にはなくなった先祖をしのぶだけではなく、自身の悟りを開くための修行の時期といった意味も含まれているとされています。彼岸が7日間もあるのは、修行を行うための期間とされるのです。

 

修行というと何がなし構えてしまいますが、自分自身の生き方を振り返ってみる機会と考えるのもよいかもしれません。

 

なお、秋のお彼岸にはお萩をお供えするのがならわしです。もち米にあんこをのせただけの素朴な食べ物ですが、同じ食材でありながら、春のお彼岸と秋のお彼岸とでは呼び方が違っています。

 

春はぼた餅、秋がお萩と呼ばれているのです。理由は、春は牡丹の花、秋は萩の花と、それぞれの季節の花にちなんだ名前がつけられているからです。

 

まとめ

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秋分は季節の変わり目、昼と夜の時間が同じとなる日、秋の彼岸の中日と様々な意味合いをもった時節です。

 

また、暑さも一段落し、秋の涼しさを実感できる時節でもあります。お出かけにはちょうどよいときかもしれません。

 

白露とは何か?二十四節気を解説!

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白露とは、草木に朝露が付き始める時期をさす二十四節気の言葉です。

 

立秋処暑と暦上の秋が進んでくると、日中は暑くても夜になると気温は下がり、朝には草木に露が付いている光景が見られるようになります。この時期を白露と呼び、秋を感じることができる機会が多くなるのです。

 

ここでは、白露について解説していきます。

 

白露の意味と時期

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白露は二十四節気の1つです。

 

二十四節気とは、太陽の動きを中心にして農作業の指標となるように考えられた暦のことです。私たちの先祖は、春夏秋冬の4つの季節をそれぞれ6等分して全体を24に分け、それぞれに名前をつけて、日々の暮らしの指標としました。

 

秋の部は、立秋処暑、白露、秋分寒露霜降の順に並んでおり、白露はそのうちの3番目の時節にあたります。

 

真夏の暑さが一段落する時期とされている処暑を過ぎ、秋本番に向けて周囲の景色も変わり始める時期です。

 

白露は、朝、草木に付く丸い露のことをいいます。この時期は夜になると気温は下がります。特に晴れて風のない日の夜は地表の熱が上昇するため、地上の温度は下がり、空気中の水蒸気が水滴となって草木に露を結びます。

 

このようにしてできるのが朝露であり、白露とはこの露のことをいうのです。

 

白露の白とは、朝露が白く見えるところから名づけられました。また、中国から入ってきて日本の文化にも強い影響を与えている五行説では、秋を白色で表しており、こちらも白露の語源とされています。

 

白露は、特定の日取りが決まっているわけではありません。二十四節気が太陽の動きによって決まるため、白露の日取りも毎年変わるのです。ただし、毎年変わるといっても、さほど大きなずれはありません。年によっては同じ日取りのときもあります。

通常は9月7日から22日頃までが白露とされています。

 

2024年の白露は、9月7日から9月21日までとなります。

 

なお、白露に限らず、二十四節気は節気に入った初日をさしていわれることが多いようです。たとえば、立秋といえば、立秋初日のみのことをさすといった具合です。特に俳句ではこのような使い方がされています。

 

しかし、二十四節気は季節を一定の期間ごとに分けたものです。そのため、初日のみをいうだけではなく、その期間全体をさすものとしても使われます。いわば、使い方が二種類あるものなのです。

 

白露の行事

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白露の時期に行われる行事には、重陽節句敬老の日があります。また、年によっては秋分の時期に行われる十五夜も白露の時期の行事です。さらに秋の彼岸の入りも白露の後半に重なります。

 

重陽節句は9月9日。菊の花の香りをうつして作る菊酒を飲むことで健康になることを願う行事です。現在ではほとんどすたれてしまいましたが、昔は3月の桃の節句、5月の菖蒲の節句などのご節句の1つとして祝われてきました。

 

また、敬老の日は、お年寄りの健康長寿を願う日として毎年9月の第三月曜日に行われる行事です。この日は国民の祝日ともなっており、様々なイベントが各地で開催されます。

 

十五夜は、月をながめて楽しむ行事で旧暦の8月15日にあたる日がその日とされています。この日は中秋の名月とも呼ばれ、お月さまに月見団子やススキの穂を供えてその年の収穫に感謝をします。

 

ただし、旧暦8月15日は年によっては白露の時期を過ぎて秋分の時期にあたることがあります。月の動きは毎年変わるため、それに対応した旧暦も一定していないためです。

 

秋の彼岸は白露から秋分の時期にあたります。彼岸は春分の日秋分の日を中心として年2回行われる行事です。秋の彼岸は秋分の日を中心とした前後7日間。年によって違いはありますが、主に9月20日から26日にかけて行われます。

 

彼岸の入りは白露の時期にあたり、彼岸のあけが秋分の時期になるのです。

 

春分秋分の両日は私たちが住むこの世となくなった先祖がいるあの世との間がつながりやすくなる日とされています。そのため、この日は、なくなった先祖をしのび、感謝の念を捧げる日としてお墓参りや彼岸法要などの行事が行われるのです。

 

まとめ

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白露の時期になると、日中はともかく、朝晩は涼しい風が吹いて、秋の風情を感じることができるようになります。また、中秋の名月を楽しんだり、秋彼岸で先祖をしのんだりと秋の行事も続きます。

 

秋本番の一つ手前にあるのが白露といえるでしょう。