節分といえば豆まきをする日というのが一般的でしょう。その他には恵方巻を食べるとか、柊鰯を飾るとかいうことを思いつく方も多いと思います。
しかし、なぜそのような行事が行われているのかご存知でしょうか。
実は節分は災害除けや延命長寿を願う儀式と災害や悪疫を運んでくる悪鬼を追い払う儀式とが一緒になったものといわれています。
もともとは別の行事だったものが年を経るにつれて同化し、江戸時代には今の形になったとされているのです。
そこで、ここでは節分の由来と豆まきの意味、さらには節分に行われる行事のいくつかについて解説します。
節分の由来
節分はもともと季節が変わる最後の日を指す言葉として使われてきました。いわゆる立春、立夏、立秋、立冬の前日がそれぞれに節分と呼ばれていたのです。それが現在では立春の前日を除いてはまったくといってよいほど使われていません。
理由は立春が1年のうちでも特別な日とされたところにあります。日本では古くから、立春は新しい年の始まりといわれ、いわば正月と同じ意味をもっていました。また、もともと季節の変わり目には邪気が入り込むともいわれてきました。
年の初めと同じ意味をもつ立春の前日に邪気を払うことで、その年の災害や悪疫の発生防止を願ったのです。そのため、立春前日の節分は特に重要視された行事でした。
立夏や立秋といった他の季節が変わる前日の節分とは意味合いが違っていたのです。節分といえば立春前日のこと、と考えられるようになったのにはこのような経緯がありました。
なお、節分となる日は決まっておらず、太陽の運行によって左右されます。ちなみに2021年の節分は2月2日です。
豆をまく意味
立春に豆をまくのは、その行為によって邪気を払うことができるとされるためです。
日本では平安時代に「追儺」と呼ばれる行事が行われていました。中国から伝わったとされるこの行事は、12月31日大晦日の夜に邪気を払うものでした。「追儺」では豆をまくことはしません。陰陽師が邪気払いの祭文を読み上げた後、方相氏、侲子と呼ばれる神の使いによって悪鬼が追い払われる様が演じられます。
豆をまいて邪気を払うことが行われ始めたのは室町時代。豆は「魔滅」とも呼ばれ魔を滅するものと考えられたのです。豆まきにはこの「魔滅」を魔の目、すなわち「魔目」にあてて魔を退散させる意味がありました。
この豆まきと追儺が合わさって現在の豆まきの行事が出来上がったと考えられています。
豆まきの際に「鬼は外」「福は内」と唱えるのは邪気を払い、福を呼び込むためのものなのです。
豆まきの由来は簡単な語呂合わせのようですが、昔の人は小難しい理屈よりもこのようなところに悪鬼退散の願いを込めたのでしょう。
節分に行う行事いくつか
節分に行われる行事には豆まきの他に次のものがあります。
節分の夜に恵方の方角を向いて巻きずしをひと口に食べることで幸運を招き入れることができるといわれています。食べる際には無言でいることが必要ともされます。ただし、恵方巻の由来については様々な説があり、確定したものはありません
。
ちなみに恵方とは、その年の歳神(歳徳神ともいいます)がいるといわれる縁起の良い方角のことです。
柊鰯
節分の日、玄関に魔除けとして飾られる飾り物のことです。柊はその尖った葉の先でやって来る鬼神の目を刺して退散させます。鰯はその匂いを鬼神が嫌ってやって来ないといわれます。
この2つを組み合わせて邪気を払い、新しい年を迎えたのです。
福茶
節分の日には、豆まきに使う豆を使って作る福茶が飲まれてきました。福茶とは大晦日や元旦に無病息災を願って飲むお茶のことですが、節分にも同じ意味合いで飲まれています。
材料は豆の他に、昆布と梅干しのみ。これらをお湯またはお茶に入れて飲むのです。
まとめ
節分はもともと季節を分けるものとして使われてきた言葉です。春の始まりとされる立春のみが特別な日と考えられたことから、その前日となる節分も合わせて特別な日となりました。
現在よりも災害や病気などへの備えが不十分だった昔、人々ができるのは神に無事を祈ることでした。それが季節の行事として形を変えながら現在に続いているのです。
昔の人の願いに思いをはせながら節分の行事を行ってはいかがでしょうか。