季節の言葉

四季折々の言葉や行事を綴っていきます

『二百十日』夏目漱石

夏目漱石の『二百十日』を読みました。主人公の圭さんと碌さんの会話がかけあい漫才のようでとても面白いです。これまで何回か読んでいるのですが、状況の描写がなくても会話だけで十分に作品が成立するということがあらためてわかります。漱石の筆力の成せるワザでしょう。

 

「初秋の日脚は、うそ寒く、遠い国の方に傾いて、淋しい山里の空気が、心細い夕暮れを促すなかに、かあんかあんと鉄を打つ音がする。」

 

「一度途切れた村鍛冶の音は、今日山里に立つ秋を、幾重にの稲妻に砕く積りか、かあんかあんと澄み切った空の底に響き渡る。」

(『二百十日夏目漱石 より引用)

 

二百十日』の冒頭に登場する描写です。秋の冷たく澄んだ空気のなか、鉄を打つ音が実際に聞こえてくるようです。このような文章を読むと日本の四季はいいな、と心から思います。

 

さて、『二百十日』は「金力や威力で、たよりのない同胞を苦しめる奴等」「社会の悪徳を公然商買にしている奴等」に対する怒りをぶつけた小説です。面白いのはそういった「奴等」を倒すために血を流さない革命をやるといっているところ。そこをもう少し具体的に示したのが『野分』なのでしょう。

 

ただし、制度を変えてもそれを運用する人間が変わらなければ意味がない。漱石がエゴイズムの問題を掘り下げていったのも、その点に気がついていたからではないでしょうか。

 

興味深いことに、漱石は最後の作品『明暗』で社会主義者を登場させます。『二百十日』で示した社会制度の変革について、漱石は再び目を向けるようになったのかもしれません。