季節の言葉

四季折々の言葉や行事を綴っていきます

文学に描かれた季節 冬『青年』森鴎外

『青年』は主人公の小泉純一が東京に出てきてから2ヵ月ほどの間の出来事を描いた作品です。時期は10月終わりから翌年の元旦。晩秋から初冬にかけての東京と箱根が舞台となります。

 

「今日も風のない好い天気である。銀杏の落葉の散らばっている敷石を踏んで、大小種々な墓石に掘ってある、知らぬ人の名を読みながら、ぶらぶらと初音町に出た。」

 

「諺にもいう天長節日和の冬の日がぱっと差して来たので、お雪さんは目映しそうな顔をして、横に純一の方に向いた。」

 

「刈跡から群がって雀が立つ。」

 

「常盤木の間に、葉の黄ばんだ雑木の交っている茂みを見込む、二本柱の門に大宮公園と大字で書いた木札の、稍古びたのが掛かっているのである。落葉の散らばっている、幅の広い道に、人の影も見えない。」

 

「植長の庭の菊も切られてしまって、久しく咲いていた山茶花までが散り尽した。もう色のあるものと云っては、常盤木に交って、梅もどきやなんぞのような、赤い実のなっている木が、あちこちに残っているばかりである。」

 

「十二月は残り少なになった。前月の中頃から、四十日の間雨が降ったのを記憶しない。」

 

「門ごとに立てた竹に松の枝を結び添えて、横に一筋の注連縄が引いてある。酒屋や青物屋の賑やかな店に交って、商売柄でか、綺麗に障子を張った表具屋のひっそりとした家もある。どれを見ても、年の改まる用意に、幾らかの潤飾を加えて、店に立ち働いている人さえ、常に無い活気を帯びている。」

(『青年』 森鴎外 より引用)

 

いくつか目にとまった季節の描写を書き出してみました。

 

「刈跡」という言葉が出てきます。草木を刈った跡、という意味ですが、稲刈りが終わった後の田んぼを指す言葉として使われているようです。現在の東京ではあまり見られない光景です。

 

また、天候や植物だけではなく、正月を迎える前の商店の様子も描かれています。門松が立っていたり、貼り換えられた障子が目につく表具屋があったりなど、明治の商店街の年越し風景の一端が見えるようでとても興味深く感じられました。