『門』は、主人公宗助が、他人の妻を奪いとった過去の罪と対峙する物語です。このように書くと、宗助と運命との相克といったイメージがわきますが、そうではありません。過去、自分が犯した罪から救われることを願いながら、結局は何もできずに終わる人の姿がこの小説では描かれます。運命と戦うのではなく、状況に流されていく人の物語というほうが正しいかもしれません。
背景となる季節は秋から春。ことに冬が主な舞台となります。その中から冬を描いた文章をいくつか書き出してみます。
「円明寺の杉が焦げたように赤黒くなった。天気のいい日には、風に洗われた空のはずれに、白い筋の険しく見える山が出た。年は宗助夫婦を駆って日ごとに寒いほうへ吹き寄せた。朝になると欠かさず通る納豆売りの声が、瓦をとざす霜の色を連想せしめた。宗助は床の中でその声を聞きながら、また冬が来たと思いだした。」
「時々寒い風が来て、後ろから小六の坊主頭と襟のあたりを襲った。」
「五、六時間ののち冬の夜は錐のような霜をさしはさんで、からりと明け渡った。」
「通町では暮れのうちから門並みそろいの注連飾りをした。往来の左右に何十本となく並んだ、軒より高い笹が、ことごとく寒い風に吹かれて、さらさらと鳴った。」
「正月は二日目の雪を率いて注連飾りの都を白くした。降りやんだ屋根の色がもとに復る前、夫婦は亜鉛張りの庇をすべり落ちる雪の音に幾へんか驚かされた。」
「障子に映る時の影が次第に遠くに立ちのくにつれて、寺の空気が床の下から冷えだした。」
(『門』夏目漱石 より引用)
正月に雪が降ることが書かれています。今の東京で正月に雪が降ることはほとんどないと思いますが、この作品が書かれたときはそうではなかったのでしょう。時代の違いが感じられます。
また、小説のなかには宗助の心にいつもわだかまっているおびえを冬の季節にあてはめて描いている箇所が登場します。
「年の暮れに、事を好むとしか思われない世間の人が、わざと短い日を前に押したがってあくせくする様子を見ると、宗助はなおのことこの茫漠たる恐怖の念に襲われた。なろうことなら、自分だけは陰気な暗い師走の中に一人残っていたい思いさえ起った。」
(『門』夏目漱石 より引用)
年があらたまる前の特別な時だからこそ、宗助の不安がより切実なものとなって迫ってきます。