季節の言葉

四季折々の言葉や行事を綴っていきます

初冬っていつまで?晩秋との違いは?期間と類似語について解説!

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初冬の候、という言葉は手紙を書く際にはよく使われますよね。この初冬は文字通り冬の初めという意味ですが、いつまで使われるのかご存知でしょうか。

 

感覚的には12月初旬ころぐらいかな、とも思えますが実際にはどうなのか。

また、同じ時期に使われる言葉に晩秋や冬隣といったものもあります。それらの言葉との違いも気になります。

 

そこで、ここでは初冬の期間と似た言葉との違いについて解説していきます。

 

初冬の期間

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初冬と呼ばれる期間は24節季でいえば11月初旬の立冬から12月初めの大雪の時期までとされています。

 

気象庁のホームページによると冬の始まりは12月からです。しかし初冬という言葉は12月になってから使われるのかといえば、そうではありません。立冬を迎える11月初旬ころから使われ始めるのが一般的です。

 

なぜ実際の冬よりも早い時期から初冬という言葉が使われるのでしょうか。

 

大きな理由は初冬という言葉が旧暦時代から使われてきたことです。そのため、11月で実際にはまだ冬になっていなくても初冬という言葉を使うことに抵抗感がないのでしょう。

 

新暦と旧暦とでは暦の数え方が違います。月の動きを中心とした旧暦と太陽の動きを中心にした新暦では暦の数え方が異なり、約1ヵ月程度のずれが生じるのです。そのため新暦12月が旧暦では11月となります。冬の始まりが新暦のほうが遅くなるわけです。

 

旧暦が新暦に変わったのは明治5年12月3日からです。この日をもって新暦明治6年1月1日とし、新しい暦が使われるようになりました。しかし、変わったのは暦の使い方だけでそれまで行われてきた季節ごとの行事はそのまま残されました。

 

そのため、暦上はずれがあっても季節のとらえ方はそのまま残り、実際に冬になっていなくても冬を表す初冬という言葉が使われているのです。

 

そこで問題となるのは初冬の時期はいつまでか、という点。こちらについては厳密にこの日とまでは決まっていません。冬の初めを過ぎた頃、というしかないようです。しかし、一応の目安となる日はあり、それが冒頭に述べた24節季の1つである大雪になるといわれています。

 

大雪は新暦12月8日頃にあたり、本格的な冬の寒さがやってくるとされる日のことです。俳句の季語にもなっています。初冬は本格的に寒くなる前の一時期を表している言葉なのです。

 

晩秋との違い

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初冬と同じような時期に使われる言葉に晩秋があります。陽の光も弱くなりなんとなく肌寒さを感じる時候、といったイメージを喚起させる言葉です。肌感覚としては初冬と似ていますし、実際に初冬と同じく11月の終わりから12月の初めまで使われることもあります。

 

このことから、両者は言い方が違うだけで表している意味は同じと考える人がいるかもしれません。

 

しかし、両者には明確な違いがあります。それは季語としての使われ方に現れます。歳時記では晩秋は秋の部に収められており、俳句の世界では原則として秋以外の季節で使われることはありません。

 

一方の初冬は冬の季語。こちらも使われるのは冬のみです。俳句では季語に様々な意味を含ませるため、使用する時期に厳密な制約をもたせています。そのため、感覚からすれば同じ時期に使う言葉であっても俳句で使う場合には厳格に建て分けられているのです。

 

晩秋のほかに暮れの秋、冬隣などといった季語があります。いずれも晩秋から初冬の時期に使われる言葉です。日常会話で使う分には問題はありません。しかし俳句にする場合にはあくまでも秋の言葉として使わなければならないのです。

 

まとめ

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初冬は暦上の冬が始まる時期から寒さが本格化する時期まで使われる言葉です。季節でいえば秋の終わりから冬の始まりまでといえるでしょう。

 

小春日和もこの期間に使われる言葉です。暑くもなく寒くもない束の間の過ごしやすい時候ですね。また、晩秋がどちらかというと暗く重苦しいイメージがあるのに対して明るい陽射しが満ち溢れているような軽やかな感じのする季節といえるのではないでしょうか。

小春日和の意味は?小春との違いも解説

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小春日和という言葉はテレビの天気予報などで時々聞くけれど、どういう意味なんだろう。

こんな疑問をもつ方はいませんか。

 

小春というのなら春のうららかな一日のことをいうのじゃないのかな。

なかにはこのように思っている方もいるかもしれません。

 

実は小春日和は使う時期が決まっている季節限定の言葉なんです。

 

ここではそんな小春日和について解説します。

 

小春日和の意味

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小春日和とは晩秋から初冬にかけて訪れる良い天気に恵まれた暖かな日のことをいいます。旧暦では10月頃の陽気とされています。旧暦は新暦より1ヶ月遅れているので、現在の暦になおすと11月から12月初旬ないし中旬の間の暖かな日ということができるでしょう。

 

この時期は暦のうえでは冬に入っていますが、まだ本格的な寒さを感じることはなく、日によっては春のようなぽかぽか陽気に恵まれることもあります。小春日和の「小」にはもともと、「わずかな」「少しの」といった意味があります。それが「春」の字と結びつき、季節は違うけれど、春のように暖かな日ということで小春日和という言葉が生まれたとされているのです。

 

そのため、小春日和といえば春のうららかな一日を指すのではなく、寒い冬を迎える前の暖かくて晴れた日のことをいうのですね。

 

俳句でも小春日和は冬の季語とされており、使う時期が限定されています。

 

ただし、近年では小春日和の本来の意味はそのままにして、1月から2月にかけての真冬に訪れる暖かい日を小春日和と呼ぶ例が増えてきた、といわれています。理由は定かではありませんが、寒い季節に感じる暖かさを表す言葉としてちょうどよいのかもしれません。

 

小春との違いは何?

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小春日和と似た言葉に小春というものがあります。小春日和と同じニュアンスで使われるようですが、厳密には異なります。小春日和が立冬前後の暖かく晴れた日をいうのに対して小春は旧暦10月の異称。いわば11月から12月初旬までの期間をさしているのです。同じく旧暦10月の異称として使われるのが小六月。

 

いずれも特定の暖かな日ではなく、その日を含む特定の時期を表しているのですね。

 

面白いのは小春を俳句の季語として使う場合には、その言葉自体に「日和」が含まれるとされる点です。小春日、古春凪などとも使われます。

 

ちなみに小六月に対応する言葉として大六月というものがあります。ただ、こちらは旧暦6月の異称です。

 

まとめ

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秋の終わりから冬の初めにかけて暖かな日が続きます。秋とは空気や風が微妙に違う季節です。そのなかの一日を切り取ったのが小春日和といえるでしょう。

 

玉の如き小春日和を授かりし 松本たかし

小春ともいひ又春の如しとも 高浜虚子

山国に妻子住ましめ小六月  相馬遷子

 

 

 

 

秋を表す色って何色?かさねの色目を解説!

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季節には一般的にイメージされる色があります。春ならばピンク、夏ならば青といった具合でしょうか。いずれも季節ごとの自然の景物や人間の営む暮らしから考えられてきた色です。

 

しかし、それとは別に季節にふさわしい色として決められているものがあります。それはかさねの色目と呼ばれ、平安時代には貴族が身にまとう衣服の配色に使いました。

 

もしも、季節とずれた色の服を着ていると相手にされなかったとまでいわれており、貴族にとっては社交上きわめて重要な意味をもっていたのです。

 

ここでは、かさねの色目の意味とその中でも秋を表す色目について解説します。

 

かさねの色目とは

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平安時代の貴族が身に付けた衣服の配色をかさねの色目と呼びます。当時の貴族たちは着物の表だけではなく、裏地にも気を配りました。

 

また、着物も現在のように一枚着てそれでおしまいというのではなく、何枚も重ね着をしていました。そのためそれぞれの着物の配色に気をつかう必要があったのです。

 

貴族たちは、これら着物の表と裏との色のバランスや重ねて着る場合の配色方法などをかさねの色目と呼んで、季節ごとに使う色を定めてきました。

 

かさねの色目の基準となるのは四季折々の自然の景物の色です。たとえば、春ならば梅の花の白、夏ならば菖蒲の青(ただし、現在でいえば緑色です)、秋は萩の紫、冬は氷の白があります。

 

注意しなければならないのは、いずれも単にその季節に見られる色を使っているのではないという点です。日本人は古来、自然との調和を大切にして生きてきました。この考え方は着物の配色にも活かされ、それがかさねの色目として定着しました。

 

かさねの色目は日本人の美意識が反映された配色なのですね。

 

また、自然との調和という点でいえば、かさねの色目を表す言葉もそのときどきの季節にみあったものが使われています。

例をあげると、

 

紅梅匂(こうばいのにほひ) : 春

若苗 (わかなえ)     : 夏

藤袴 (ふぢばかま)    : 秋

枯野 (かれの)      : 冬

 

などです。

 

紅梅匂は春にさきがけて咲く梅の花、若苗は田に植えられたばかりの苗の色、藤袴秋の七草、さらに枯野は文字通り冬の荒涼たる野原と、いずれも季節を連想させる言葉で、どのような色のことなのだろうか、と興味がわいてこないでしょうか。

 

秋を表すかさねの色目

 

秋を表すかさねの色目は39種類ほどありますが、ここでは次の6種類を紹介します。

 

萩(はぎ)

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花薄(はなすすき)

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女郎花(おみなえし)

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紅葉(もみじ)

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小栗色(こぐりいろ)

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桔梗(ききょう)

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まとめ

 

季節を表現する言葉と色彩。そこには自然と暮らすなかで培われてきた思いが込められています。今でこそ使われることが少なくなりましたが、かさねの色目は日本人のもつ美感を示す言葉として大切にしていきたいものです。

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知っておきたい神無月の由来 神在月と併せて解説!

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10月の別名を神無月といいます。この言葉は和風月名と呼ばれるものの一つです。日本では数字の代わりに移り行く季節や行われる行事にちなんだ名前が月ごとに付けられていました。

 

たとえば、3月の和風月名は弥生ですが、これは木や草が生い茂る月という意味で付けられた名前です。

 

実は日本では明治時代に入るまでは月の満ち欠けを中心に、太陽の動きを加味した太陰太陽暦という暦が使われていました。いわゆる旧暦と呼ばれる暦です。

 

和風月名は旧暦で呼ぶ月の名前のことです。旧暦上の名前なので新暦が使われている現在からすれば1,2ヵ月のずれが生じます。そのため名前と実際の季節とがそぐわないことも多いのですが、昔から日本人の心になじんできた言葉であり大切にしたいものです。

 

そのうえで和風月名にはそれぞれに由来があります。ここでは神無月の由来について解説していきます。

 

神無月の由来

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神無月の由来にはいくつか説があります。もっとも有名なのは10月になると全国の神様が島根県出雲地方に集まり、それ以外の土地では神様がいなくなるので神無月と呼ばれるようになったというもの。

 

その他には神無月(かんなづき)の「な」には「の」という意味があるところから単純に神の月と呼ばれるという説があります。

 

また、新嘗祭にちなんだ由来もあります。すなわち10月は、11月に行われる新嘗祭に使われる新酒を醸す月とされており、別名を醸成月(かみなんづき)とも呼ばれていました。それが神無月となったというものです。

 

留守番をする神様

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毎年、10月になると全国から神様が出雲に集合して会議を開きます。この会議は神議(カムハカリ)と呼ばれ、主な議題は縁結びとされています。

 

ところで、神議の間、出雲地方以外には神様はいなくなってしまうのか、という疑問がわきます。この点については会議に出かける神様の他に残って留守番をする神様がいるとされています。

 

有名なのが恵比寿様、金毘羅様。その他にも竈神、道祖神などが留守番をする神様です。恵比寿様については、神議を終えて戻ってきた神様に留守中に起きた出来事を報告している様子を描いた絵もあります。

 

そのため、神無月だから神社に参拝しても無意味ということはありません。

 

なお留守番ではなく、そもそも出雲に出かける必要のない神様もいます。伊勢神宮に祀られる天照大御神のような天津神がそれに当たります。天津神は天から地上に降臨した神様のことです。

 

一方、出雲大社に祀られる大国主大神国津神と呼ばれ、もともと地上にいた神様をいいます。これらの神様には役割分担があり、天津神の役割は国土の安寧、国津神の役割が人々の暮らしに関わることです。

 

出雲大社で行われる神議では縁結びのような人々の暮らしに関わることが話し合われるため、天津神が出席する必要がないのですね。

 

神の種類によって役割が異なるというのはとても興味深いことだと思います。

 

島根県出雲地方は神在月

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神様が集合する島根県出雲地方の10月は神在月(カミアリヅキ)と呼ばれます。

 

神在月になると出雲地方では出雲大社を中心に神在祭と呼ばれる様々な行事が行われます。期間は旧暦10月10日から17日までの1週間。

 

注意しなければならないのはこの期間は旧暦のため、新暦では毎年日にちが異なるという点です。たとえば、2020年の旧暦10月10日は新暦では11月24日となります。

 

そのため、神在祭を見たいと思ったときにはまず、新暦で祭の日程を確認するようにしましょう。

 

まとめ

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今回は和風月名のうち10月を意味する神無月について解説しました。神無月の由来自体にはいくつか説があり、一概にどれが正しいということはできません。ただ、旧暦10月に神様が島根県出雲地方に集まることは知られており、このことと神無月とが密接に結びついて世間一般に受け入れられているのは否めないようです。

秋に使いたい季節の変化を表す言葉

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日本には季節の微妙な変化を表す言葉がいくつもあります。単純に暑い寒いという言葉では説明できないかすかな違いを表現している言葉。

 

たとえば、汗をかきながら歩いている最中、ふと見上げた空にそれまでと違う雰囲気を感じたという経験はありませんか。そのような状況を表すことができる言葉が日本語にはあるのです。

 

ここでは秋に使ってみたい季節の移り変わりを意味する言葉をいくつか紹介します。

 

秋の始まり  残暑、新涼、秋めく 

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毎年8月6日か7日ごろには立秋を迎え、暦のうえでは秋になります。それ以後の暑さを残暑と呼びますが実際には暑さ真っ盛りというほうがぴったりくる時節です。

 

しかし、そんななかでも時おり感じる秋らしさを表すのが秋めくという言葉。実際には8月下旬ころに使われることが多いようですが、この時期でなければならない、ということはありません。

 

立秋を過ぎたころからの陽の光、風、空の色などから感じ取るそこはかとない秋の気配を秋めくという言葉が表しているのです。

 

同じ時期ではありますが、実際に涼しくなってきた感じを表す言葉に新涼があります。秋になって新たに感じた涼しさという意味です。単に涼しいといってもよいところ、あえて新涼という言葉を使うことで秋を表現するのですね。

 

また、俳句では涼しいといえば、夏の季語となります。秋になってから感じる涼しさを表すために新涼もしくは秋涼しという言葉を使うのです。

 

秋半ばのころ 秋澄む、夜長、冷やか 

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秋分の日を過ぎるころから景色が変わってきます。空気が澄み、空の青さを身近に感じるようになってきます。大陸から流れ込む移動性高気圧が乾燥した空気を運んでくるので大気が澄むのです。

 

この時分を表すのが秋澄むという言葉。また、移動性高気圧は冷たい空気も一緒に運んでくるため気温も下がります。冷やかという言葉も同時期から使われるようになります。

冷やかとは秋になって冷え冷えとしてくる感じをいう言葉です。冷たい、というほどではなくちょうどよい寒さといった感覚です。また、俳句では実際の寒さではなく心に感じる寒さを表す意味で使われることもあります。

 

冷かにわれを遠くにおきて見る 富安風生

 

なお、似たような意味を表す言葉として秋冷、朝冷え、夕冷え、雨冷えなどがあります。このうち、秋冷は手紙の挨拶文としてよく使われます。

 

秋冷の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

 

また、秋分の日近くなってくると日が暮れるのが早くなり、夜の時間が長く感じられるようになります。この時期は夜長と呼ばれ、読書をはじめとする趣味に取り組む好機です。

 

秋の終わり 秋深し、秋寒、身に入む 

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秋が進んでくると、紅葉する樹々、高く澄んだ空に広がる鱗雲などが目につくとともに街にはキンモクセイの香りが漂います。そのころの時節を秋深しという言葉で表します。また、深秋、秋闌けるともいいます。

 

この時期の寒さを秋寒という言葉で表現します。同様にそぞろ寒、やや寒、うそ寒などという言葉も使われます。いずれも秋が深まり、日ごとに寒さがつのっていくさまを表した言葉です。

 

なお、身に入むという言葉もあります。「みにしむ」と読み、体が感じる寒さではなく心に沁み通っていく寒さのことです。

 

また、秋の朝に感じる寒さを朝寒、夜の寒さを夜寒と呼びます。いずれも晩秋のころ、冬の訪れが近いことを思わせる言葉です。

 

朝寒の膝に日当たる電車かな 宵曲

 

掻き合す夜寒の膝や机下   久女

 

まとめ

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秋に使いたい季節の推移を表す言葉をいくつか紹介してきました。暑さであえいでいた夏が徐々に涼しくなり、やがて寒さに変わっていく。その間に心と体が感じる微妙な変化を捉えた言葉は私たち日本人の財産といえるでしょう。気候の変動によって、自然の微妙な変化を感じとることができる時期が少なくなってきた時だからこそ、これらの言葉を日常的に使っていきたいものです。

知っておきたい彼岸の由来と意味。時期についても解説!

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暑さ寒さも彼岸まで、とよくいわれます。私たちは彼岸を季節の区切りを意味する言葉として日常的に使ってきました。

 

また、お彼岸にはお墓参りにでかけることを年中行事にしている方も多いことでしょう。

 

けれども、彼岸の意味や時期について正確にご存知ですか。

 

実は彼岸は仏教と日本古来の信仰とが結びついた行事なのです。さらにいえば、彼岸はなくなった人を偲ぶだけではなく、自然の恵みに対して感謝する日でもあります。

 

ここでは、彼岸の意味や由来、行われる時期について解説していきます。

 

彼岸は何をする行事?

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彼岸にはお墓参りをするのが一般的です。なくなった方を偲ぶとともに、その方のおかげで今日の自分があることに感謝することが目的になります。

 

彼岸の中日と呼ばれる春分の日もしくは秋分の日にお参りすることが多いようですが、特に決まりはありません。仕事などの理由でお参りできなくても問題ないとされています。彼岸の時期をはずれてお参りしても支障ありません。

 

当日はお墓を掃除して故人の好物をお供えし、花をたむけ、お線香をあげます。故人への感謝の思いをこめてお参りするようにしましょう。なお、お供え物はお参りが終わったら持ちかえります。そのままにしておくとカラスなどの動物によって墓所が荒らされるおそれがあるからです。

 

また、服装について決まりはなく、普段着でも問題ありません。

 

彼岸の由来は?

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彼岸は日本で古くから行われていた自然崇拝と外来の仏教とが融合して行われるようになった行事です。

 

両者が融合した理由として彼岸の行事を行う時期が同じだったことがあげられます。いわゆる春分秋分の時期です。

 

春と秋にはそれぞれ太陽が真東から昇り真西に沈む日があり、この日を春分秋分と呼びます。現在でいえば春分の日秋分の日として国民の休日となっている日です。

 

古来、日本では春分の日秋分の日を自然の恵みをもたらしてくれる太陽に感謝する日として祝ってきました。この行事は日願(ひがん)と呼ばれ、仏教が伝わる以前から行われてきたのです。

 

また仏教上、彼岸とは此岸に対応する言葉として使われています。彼岸とは死者の住む世界、此岸とは生者の住む世界。二つの世界の間には三途の川と呼ばれる川があるとされ、川を挟んだこちら側を此岸、あちら側を彼岸と呼ぶのです。

 

また彼岸があるのは西の方角とされ、仏教のなかでも浄土宗ではその場所は阿弥陀如来が住む極楽浄土と考えてきました。

 

言うなれば彼岸は太陽が沈む西方極楽浄土と同じ場所にあるといわれてきたのです。

 

そのため太陽が真東から昇り真西に沈む、春分秋分の両日は極楽浄土にもっとも通じることができる日とされ、それが彼岸の行事の淵源となりました。

 

このように日本古来の太陽崇拝行事である日願と仏教上の行事である彼岸とはいずれも祭祀を行う日が同じなのです。春分秋分という自然の運行を軸とした二つの行事が結びついたのが彼岸の由来となります。

 

そのため彼岸はお墓参りをするだけではなく、私たちを取りまく自然環境へ感謝する日でもあるのです。

 

秋分の日が祝日とされる理由が「祖先を敬いなくなった人を偲ぶ日」とされているのとは別に、春分の日が祝日とされる理由が「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」となっているのはその証左でしょう。

 

彼岸の時期はいつから?

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彼岸は春分の日秋分の日を中心にした前後7日間とされています。

 

たとえば2020年の秋の彼岸は9月22日が秋分の日となるため、その前後9月19日から9月25日までです。

 

ちなみに、

 

初日  9月19日を彼岸の入り

中日  9月22日を彼岸の中日

最終日 9月25日を彼岸明け

 

と呼んでいます。

 

ただし春分秋分の両日はあらかじめ決まっておらず毎年変わります。そのため彼岸の行事を行う日も毎年変わるのでその年のカレンダーなどで確認するようにしましょう。

 

彼岸となる日にちが決まっていない理由は太陽を回る地球の運行によるものです。

 

地球は太陽の周囲を1年かけて回ります。この時の地球の軌道を黄道と呼びます。また、地球の赤道の線を宇宙に向かって広げると黄道と交差します。黄道と赤道とは異なった場所を走っている円なので、交差する点は2ヵ所です。

 

2ヵ所は常に交差しているのではなく、地球が黄道に沿って周回してきて赤道と交わる時となります。交差する時は年に2回。この時の点の一方を春分点、もう一方を秋分点と呼び、地球の運行によって交差する時期が毎年異なります。

そのため春分点を通る時刻を含む春分の日秋分点を通る時効を含む秋分の日も毎年違ってきます。

 

このように春分の日秋分の日が毎年異なるので彼岸の時期も違ってくるのです。

 

まとめ

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彼岸には先祖供養と自然に対する感謝という二つの意味があります。お墓参りの際には故人を偲ぶとともに、周囲の自然に身をゆだねてみるのもよいのではないでしょうか。

 

灯火親しむべしの意味は何?由来と使い方を解説!

 

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「灯火親しむべし」はよく聞く言葉だけど、自分で使うことはあまりないよね。

 

「灯火親しむべし」についてはこのような印象をもっている方は多いのではないでしょうか。また夏目漱石が『三四郎』のなかでこの言葉を使っているところから読書の秋と結び付けて考えている方も多いと思います。

 

実は「灯火親しむべし」は中国の漢詩からとられた言葉です。ただ、日常的に使われていないのであまりなじみがない言葉といえるでしょう。

 

ここでは「灯火親しむべし」の意味と使われ方について解説していきます。

 

灯火親しむべしの意味

 

「灯火親しむべし」は中国の唐の時代の詩人韓愈󠄀の「符読書城南」の一節、

 

「燈火稍可親」

 

を書き下した文章になります。

 

暑い夏も終わり涼しくなった秋の夜は灯火のもとで読書をするのがよい、という意味です。

 

読書の秋と関係

 

涼しい秋の夜は落ち着いて本を読むのに最適な時期です。また、日が暮れるのも早く、夜の時間が長くなります。当然この時間を使って読書にいそしもうという考えをもつ人がでてきても不思議ではありません。

 

「灯火親しむべし」という言葉はそれの追い風になったということができるでしょう。

 

「灯火親しむべし」を使う時期は厳密に決められていないのですが、9月半ばの秋分の日頃から11月初めの立冬までが一般的とされています。灯火親しむは、秋になり長くなった夜に灯をかかげて読書に親しむという意味ですから、冬に使うのはそぐわないのです。

 

なお、毎年10月27日から11月9日まで読書週間が設けられていますが、こちらは大正時代に行われた図書館週間がもとになっているといわれています。ただし、この図書館週間が行われたのは11月17日から23日となっており、季節的には冬の行事です。

そのため、読書週間は当初から秋の行事として設けられたものではないようです。

 

俳句では季語として使われる

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灯火親しむべし」は俳句の季語としても使われています。ただし、季語の場合には「灯火親しむ」「灯火親し」として使用されるのが一般的です。

 

歳時記には

 

「灯火のもとで読書や団欒をすること。夜が長くなるころの季節感。」

(『俳句歳時記 秋』 第四版 角川学芸出版編 より引用)

 

とあり、必ずしも読書のみを対象としている言葉ではありません。また「燈火親し」と書かれる場合もあります。

 

例として次のような句があります。

 

灯火親しむ鳥籠に布かぶせ   鷹羽狩行

且つ忘れ且つ読む灯火亦親し  相生垣瓜人

灯火親し琥珀の酒を注げばなほ 青柳志解樹

燈火親し学舎設くる船の内   錦織風花

 

まとめ

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秋は秋の夜長といわれるように、日が暮れるのが早くなり、その分夜の時間が長くなります。気候も涼しくさわやかで何をするにも気持ちの良い季節です。

 

そんな時節に灯火のもと本を広げるのは読書好きにとってはたまらなく楽しいものでしょう。特にそれがお気に入りの作品であればなおさらです。

 

また、本を読むのがあまり好きではない方も読書にチャレンジする機会にしてよいのではないでしょうか。読書によって自分の世界を広げることができるかもしれません。