灯火親しむべしの意味は何?由来と使い方を解説!
「灯火親しむべし」はよく聞く言葉だけど、自分で使うことはあまりないよね。
「灯火親しむべし」についてはこのような印象をもっている方は多いのではないでしょうか。また夏目漱石が『三四郎』のなかでこの言葉を使っているところから読書の秋と結び付けて考えている方も多いと思います。
実は「灯火親しむべし」は中国の漢詩からとられた言葉です。ただ、日常的に使われていないのであまりなじみがない言葉といえるでしょう。
ここでは「灯火親しむべし」の意味と使われ方について解説していきます。
灯火親しむべしの意味
「灯火親しむべし」は中国の唐の時代の詩人韓愈󠄀の「符読書城南」の一節、
「燈火稍可親」
を書き下した文章になります。
暑い夏も終わり涼しくなった秋の夜は灯火のもとで読書をするのがよい、という意味です。
読書の秋と関係
涼しい秋の夜は落ち着いて本を読むのに最適な時期です。また、日が暮れるのも早く、夜の時間が長くなります。当然この時間を使って読書にいそしもうという考えをもつ人がでてきても不思議ではありません。
「灯火親しむべし」という言葉はそれの追い風になったということができるでしょう。
「灯火親しむべし」を使う時期は厳密に決められていないのですが、9月半ばの秋分の日頃から11月初めの立冬までが一般的とされています。灯火親しむは、秋になり長くなった夜に灯をかかげて読書に親しむという意味ですから、冬に使うのはそぐわないのです。
なお、毎年10月27日から11月9日まで読書週間が設けられていますが、こちらは大正時代に行われた図書館週間がもとになっているといわれています。ただし、この図書館週間が行われたのは11月17日から23日となっており、季節的には冬の行事です。
そのため、読書週間は当初から秋の行事として設けられたものではないようです。
俳句では季語として使われる
灯火親しむべし」は俳句の季語としても使われています。ただし、季語の場合には「灯火親しむ」「灯火親し」として使用されるのが一般的です。
歳時記には
「灯火のもとで読書や団欒をすること。夜が長くなるころの季節感。」
(『俳句歳時記 秋』 第四版 角川学芸出版編 より引用)
とあり、必ずしも読書のみを対象としている言葉ではありません。また「燈火親し」と書かれる場合もあります。
例として次のような句があります。
灯火親しむ鳥籠に布かぶせ 鷹羽狩行
且つ忘れ且つ読む灯火亦親し 相生垣瓜人
灯火親し琥珀の酒を注げばなほ 青柳志解樹
燈火親し学舎設くる船の内 錦織風花
まとめ
秋は秋の夜長といわれるように、日が暮れるのが早くなり、その分夜の時間が長くなります。気候も涼しくさわやかで何をするにも気持ちの良い季節です。
そんな時節に灯火のもと本を広げるのは読書好きにとってはたまらなく楽しいものでしょう。特にそれがお気に入りの作品であればなおさらです。
また、本を読むのがあまり好きではない方も読書にチャレンジする機会にしてよいのではないでしょうか。読書によって自分の世界を広げることができるかもしれません。
秋の七草って何?由来と種類を解説!
秋の七草は何?といわれてすぐに答えることができる方は多くないのではないでしょうか。
春の七草はお正月行事の一つである七草粥に使われる食材として有名です。スーパーに行けば一般の食材とともに売られてもいます。
それに対して秋の七草は名前を聞いたことがあるけれど、その種類や役割までは知られていないというのが実情でしょう。
実は秋の七草は食べるものではなく、観賞するものなのです。また、いずれも地味でひっそりとしたイメージの花なのであまり有名ではありません。
けれども、秋の風情を楽しみたいときにはあるとうれしい花々です。
ここでは、そんな秋の七草について由来や種類を解説します。
秋の七草の由来
秋の七草は万葉集巻第八に載せられている山上憶良の詠んだ次の歌に由来するとされています。
山上臣憶良、秋野の花を詠む歌
秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七草の花
「秋の野に咲いている花、その花を、いいか、こうやって指を折って数えてみると、七種の花、そら、七種の花があるんだぞ。」
「一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。」
(『新版 万葉集 二 現代語訳付き』伊藤 博訳注 より引用)
1首目で秋の花には指を折って数えれば7種類あるといい、2首目で具体的な名前をあげている秋の七草の歌は子ども向けに作られたといわれています。それが時代とともに秋の七草として広まったようです。
なお、最後の朝顔の花については、いわゆる朝顔ではなく桔梗の花をさすといわれています。しかしこれについてはいくつかの説があり決まったものではありません。
ちなみに現在、秋の七草はその言葉自体が俳句の季語となっています。そればかりではなく七草すべてが独立した季語として使われているのです。
たとえば、
子の摘める秋七草の茎短か 星野立子
一面に尾花なびける野を急ぐ 本田あふひ
挿しそえてよしと思ひぬ藤袴 柿原美恵女
といった句があります。
いずれも秋の情緒を感じ取る日本人の心の琴線に触れる言葉であり花だったのでしょう。
秋の七草の種類
秋の七草は次の7種類です。
萩 開花時期は6月から10月
尾花 すすきのことです。開花時期は8月から10月
葛 根からとれる葛粉は葛餅の原料となります。開花時期は8月から9月末
なでしこ 花の縁がギザギザになっているのが特徴です。開花時期は5月から8月
女郎花 黄色い小さな花をたくさん咲かせるのが特徴の花です。開花時期は6月から10月
藤袴 開花時期は8月から9月。白い小さな花を茎の先にたくさんつけるのが特徴です。
桔梗 青い花弁が5つに分かれた姿が印象的な花です。開花時期は5月から9月
お月見との関係
お月見は、もともとその年の収穫を祝い来年の豊作を願う祭として日本で行われてきた行事でした。平安時代になって中国から月そのものを鑑賞して楽しむ行事が移入され、時代が下るとともにそれと結びついた日本の「お月見」が行われるようになったのです。
その折に秋の七草のなかで尾花と呼ばれるすすきは神様の依代として、また魔除けとして飾られてきました。現在ではお月見の飾りにすすきは定番となっています。
また、お月見ではすすきだけではなく他の秋の七草も一緒に飾られてきました。澄んだ夜空に浮かぶ月を鑑賞する際に秋の草花を飾ることでより一層の情緒を楽しんできたのでしょう。
まとめ
秋の七草は鑑賞することで秋の風情を楽しむものです。いずれも華やかさはなく地味な花々ですが、それだけに静かで落ち着いた秋の景色になじみますよね。お月見の際に飾るだけではなく、花を探しながら郊外を散策してみるのもよいでしょう。思いもかけない場所で秋が見つかるかもしれません。
虫すだくの意味とは?使い方についても解説!
秋が深まり、朝晩がひんやりした空気に包まれるようになると聞こえてくるのが虫の鳴き声。そんなときにちょっとだけ頭をよぎるのが虫すだくという言葉ではないでしょうか。
ところで、虫すだくという言葉は時々聞くけれど正確にはどんな意味なのかな。こんな疑問をもつことはありませんか。
実は虫すだくとは歳時記の秋の部に載っている季語です。秋の夜に虫たちが鳴く声を表現した言葉になります。けれども単に虫の鳴き声をさしているだけではありません。「すだく」という言葉にはもともと集まるという意味があり、それが虫とくっつくことで虫の鳴き声を表すようになったのです。
ここでは、虫すだくの意味について解説していきます。
すだくの意味とは
「すだく」を漢字で書くと「集く」となります。既述の通り、もともとは集まるとか群れるという意味がある言葉です。
たとえば万葉集や伊勢物語、さらには源氏物語といった古典には、人や鳥だけではなく鬼といった妖怪までもが群がり集まる場面を描写するのに使われていました。
これがたくさんの虫が集まって鳴く意味で使われるようになった理由は、使い方を誤ったためとされています。すなわち、時代が下がるにつれて「すだく」が誤って鳥や虫が鳴く意味あいとして使われ、それが定着したというわけです。
現在、ネット上で「すだく」の意味を検索すると、1番目に虫が集まって鳴くこと、という解説がでてきます。2番目にくるのが群がる、集まる、という解説です。誤って使われたほうがもともとの正しい意味よりも解説の上位にきているのはとても興味深いといえるでしょう。
虫すだくの使い方は
虫すだくは季語として虫が集まって鳴いている様子の表現に使われます。その際には虫の音すだくとは書きません。あくまでも虫すだくとして使用します。
俳句を作るときの季語としてではなく、日常の文章であれば虫の音すだくでも問題はありません。
現在では「すだく」は「虫」と一緒に使われている例が多いようです。使われ方としては、虫が鳴いている様子と集まっている様子とを一つにまとめているものとそれぞれを独立させているものとに分かれています。
たとえば、
「夜ごとに虫がすだいて啼きはじめるあの笹むらのなかで、」
(『樹下』堀辰雄 より引用)
は、集まると鳴くが独立して使われています。
また、
「白く乾いた庭の土に秋の虫がすだき始め、」
(『海市』福永武彦 より引用)
では集まる、鳴くが一緒に使われているのです。
まとめ
現在、虫すだくはあまり使われなくなったといわれています。虫が集まって鳴くといえばすむ、といってしまえばそれまでですが、少しさみしい気持ちになります。あまりに散文的で情緒が乏しい思いがするからです。
秋の夕暮れから夜にかけて聞こえてくる虫の音は暑かった夏が終わり、季節が移り変わっていくことを告げます。その折の感傷の表現として虫すだくという言葉はぴったりくるのではないでしょうか。
中秋の名月はいつみる月?時期といわれを解説!
月といえば多くの方が秋をイメージすることでしょう。澄んだ夜空に浮かぶ月はしばし日常の喧騒を忘れさせてくれます。また秋の月なら中秋の名月、という謳い文句も私たちにはすでになじみとなっていますよね。
けれども中秋の名月はいつ見る月をさすのかご存知ですか。
実は中秋の名月とされる月が昇る日は毎年変わるのです。一般的には旧暦8月15日が中秋の名月といわれています。旧暦は新暦より約1ヵ月遅れとされているので新暦でいえば9月15日。
古くからこの日を十五夜と呼んでお月見をする習慣があるのですが、その日に昇る月が必ずしも中秋の名月ということができないのです。
そこでここでは中秋の名月にあたる日が毎年変わる理由やそのいわれについて解説します。
毎年変わる中秋の名月の日
中秋の名月と呼ばれる日は毎年変わります。理由は旧暦、新暦の数え方の違いと地球を巡る月の軌道が楕円形であることです。
旧暦では月の満ち欠けによって日を決めていました。月が欠けて見えない新月の日を1日目とし、そこから数えて満月となるのが15日目。さらに月が欠けて新月となる日の前日までを1ヵ月としていたのです。
また旧暦の秋は7月から9月とされており、8月を秋の真ん中として中秋と呼びました。その月で満月となるのは15日なので、暦上8月15日が中秋の名月とされたのです。
ところが月の軌道は楕円形を描いており、毎月同じ時刻に同じ形になることはありません。地球との距離が長いか短いかによって見え方に違いがでてくるからです。その結果、旧暦上の満月と実際に満月となる日にはずれが生じてしまいます。
そこで新暦では中秋の名月となる日は秋分にもっとも近い旧暦の1日目から数えて15日目とされています。これによって月の満ち欠けによるずれを修正していると考えてよいでしょう。
旧暦では実際に満月となる日ではなくても8月15日が中秋の名月と決まっていました。それに対して新暦では実際に満月となる日に合わせるように中秋の名月となる日を決めているのです。
ちなみに2020年以降の中秋の名月となる日は次の通りです。
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2020年 10月 1日
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2021年 9月21日
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2022年 9月10日
- 2023年 9月29日
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2024年 9月17日
いつから中秋の名月は始まったのか
中秋の名月は中国から伝わった行事に日本古来の作物の収穫を祝う祭が組み合わさって成立したものといわれています。
秋に月を観て楽しむ行事が始まったのは中国の唐の時代とされ、中秋節と呼ばれたその行事が平安時代に日本に伝わったと考えられているのです。当初、貴族階級だけの楽しみだったものが時代を経るにしたがって庶民階級にも広がり、お月見として親しまれるようになりました。
また、日本には古来その年の収穫を祝う収穫祭が行われており、その時期がお月見と重なるため両者が結びついたのです。
お月見の際にはすすきを立て、お団子を供えるのが一般的となっていますが、ここに収穫祭の名残が見られます。古くからすすきは神様の依代と考えられていました。すすきを立てることで魔除けとし、ひいては無病息災を願ったのです。
また、お月見にお団子を供えるのはその年の米の収穫を祝い、来年の豊作を願う意味がありました。なお、お月見の際のお供え物には里芋やサツマイモなどもありますが、こちらも米同様に収穫を祝うために供えられたものです。
稲作が盛んになる前、芋類を供えてその年の収穫を祝った風習が現在のお月見行事にも見られるのです。
中秋と仲秋のどちらが正しいのか
中秋の名月という言葉は仲秋の名月と呼ばれることがありますが、正解は中秋の名月のほうです。
中秋とは文字通り秋の中間のことで、旧暦8月を意味します。また名月とは満月のことです。旧暦の満月は15日と決められているので中秋の名月といえば旧暦8月15日のこととなります。
これに対して仲秋とは特定の日ではなく、特定の時期や期間をさすのです。
秋は初秋、仲秋、晩秋の3つの時期に区切られ、月になおすとそれぞれ旧暦では7月、8月、9月があてはまります。仲秋は8月全体をさす概念であって特定の日付についていうものではないのです。
そのため、言葉の使い方としては中秋の名月が正しいということになります。
まとめ
中秋の名月について解説してきました。
中秋の名月となる日が年によって変わるということに驚かれた方も多いと思います。なかには十五夜お月さんと単純にいえない点に複雑な思いをされる方もいるかもしれません。
しかし、物理的な事象は別にして古くからある日本の文化は大切にしていくべきでしょう。厳密な意味での満月でなくとも、中秋の名月を愛でる気持ちは大切にしていきたいものです。
野分とは何か
野分は俳句や短歌を作られる方や読書が好きな方にはおなじみの言葉です。しかしそうではない方からすればなじみが薄くあまりピンとこないかもしれません。
実は野分は台風を表す言葉なのです。私がこの言葉を知ったのは小学生のとき。夏目漱石の『吾輩は猫である』の文庫本カバーの見開きに『二百十日・野分』と書いてあったのを見たのが最初です。
そのとき何やら頭のなかを風が吹き抜けていくような感じがしたのをいまだに覚えています。
今回は野分について紹介します。
野分の意味
野分とは台風の古い呼び名です。野に生えている草木をわけて吹き通る秋の強い風のことをいうので野分というのです。
ちなみに現在でいう台風とは中心風速17.2m/sになった熱帯低気圧のことです。風速m/sとは1秒間に空気が進む速さをいいます。17.2m/sとは1秒間に17.2mの速さで空気が進むことをいうわけです。10秒あれば約170m進むこととなります。
また気象庁風力階級によれば風速17.2m/sのとき、地表では
「小枝が折れ、風に向かうと歩けない」
(気象庁風力階級より引用)
とあります。
人が歩くことができないほどの強風ですから、草木が吹き分けられるというのは当然の情景かもしれません。
文学で読む野分
文学のなかには野分が使われている作品がいくつもあります。古典でいえば『枕草子』、『源氏物語』が代表的です。
「嵐がいつの年よりも烈しく、雲行きが急に変って吹き始めた。~中略~まして中宮は叢の露が緒の切れた玉のように乱れ散るにつれて、気も転倒しそうに心配していらっしゃる。」
「草花は折れ返り、露もとまってはいられそうもないくらいに吹き散らしているのを、紫の上は少し端近な所で見ていらっしゃる。」
「一陣の風がこの渡廊の東側の格子をも吹き飛ばした」
格子とは平安時代の寝殿造と呼ばれる建物に取り付けられた戸のことで、これが強風によって吹き飛ばされてしまったというのです。
風の強さがありありとわかる描写だと思います。
まとめ
野分は台風と比べると言葉のもつイメージが穏やかな気持ちがします。天候の状況を表すというよりも詩文に使うためのものという感じです。実際には脅威となるのだけれども、言葉のうえでは雅。
野分とはそのような言葉なのだと思います。
ただし、台風が気候変動の影響を受けて毎年規模を大きくして襲来してくる現在では野分という言葉を現実に使う機会はほとんどないといえるでしょう。
日本の季節を表す言葉を集めてみたい
日本には季節を表す言葉がたくさんあります。たとえば歳時記に収められた季語は俳句を詠む時だけではなく、日常生活のあらゆる場面で使われていて、日本に暮らす私たちの心のよすがとなっています。
たった一つの言葉から私たちは吹き渡る風、降りそそぐ日差し、といった情景を目に浮かべることができるのです。
また、日本では季節ごとに様々な行事が行われます。お正月やお盆、さらにお彼岸といった行事は日本人が昔から培ってきたものの見方や考え方が形となったものです。そこには日本人の自然や他者への向き合い方が表れていると思います。
ここではそんな言葉や行事の持っている意味を綴っていきます。普段何気なく使っている言葉や季節の行事が意味するものを知ることで少しこころが豊かになれるのではないでしょうか。
そんな気持ちをこめて書いていきたいと思っています。
よろしくお願いいたします。