野分は俳句や短歌を作られる方や読書が好きな方にはおなじみの言葉です。しかしそうではない方からすればなじみが薄くあまりピンとこないかもしれません。
実は野分は台風を表す言葉なのです。私がこの言葉を知ったのは小学生のとき。夏目漱石の『吾輩は猫である』の文庫本カバーの見開きに『二百十日・野分』と書いてあったのを見たのが最初です。
そのとき何やら頭のなかを風が吹き抜けていくような感じがしたのをいまだに覚えています。
今回は野分について紹介します。
野分の意味
野分とは台風の古い呼び名です。野に生えている草木をわけて吹き通る秋の強い風のことをいうので野分というのです。
ちなみに現在でいう台風とは中心風速17.2m/sになった熱帯低気圧のことです。風速m/sとは1秒間に空気が進む速さをいいます。17.2m/sとは1秒間に17.2mの速さで空気が進むことをいうわけです。10秒あれば約170m進むこととなります。
また気象庁風力階級によれば風速17.2m/sのとき、地表では
「小枝が折れ、風に向かうと歩けない」
(気象庁風力階級より引用)
とあります。
人が歩くことができないほどの強風ですから、草木が吹き分けられるというのは当然の情景かもしれません。
文学で読む野分
文学のなかには野分が使われている作品がいくつもあります。古典でいえば『枕草子』、『源氏物語』が代表的です。
「嵐がいつの年よりも烈しく、雲行きが急に変って吹き始めた。~中略~まして中宮は叢の露が緒の切れた玉のように乱れ散るにつれて、気も転倒しそうに心配していらっしゃる。」
「草花は折れ返り、露もとまってはいられそうもないくらいに吹き散らしているのを、紫の上は少し端近な所で見ていらっしゃる。」
「一陣の風がこの渡廊の東側の格子をも吹き飛ばした」
格子とは平安時代の寝殿造と呼ばれる建物に取り付けられた戸のことで、これが強風によって吹き飛ばされてしまったというのです。
風の強さがありありとわかる描写だと思います。
まとめ
野分は台風と比べると言葉のもつイメージが穏やかな気持ちがします。天候の状況を表すというよりも詩文に使うためのものという感じです。実際には脅威となるのだけれども、言葉のうえでは雅。
野分とはそのような言葉なのだと思います。
ただし、台風が気候変動の影響を受けて毎年規模を大きくして襲来してくる現在では野分という言葉を現実に使う機会はほとんどないといえるでしょう。