季節の言葉

四季折々の言葉や行事を綴っていきます

悴む

「悴む」と書いて「かじかむ」と読みます。寒さのために指の先の感覚が麻痺したようになって自由に動かなくなることをいいます。俳句では冬の季語として使われています。

 

指先に力が入らなくなって、ものがうまくつかめなくなるのは冬、特に、寒の入りから立春の初めにかけての時期です。この時期には手の指先が冷たくなり、ものを持つと痛みさえ感じます。

 

新聞や雑誌などにさわると、その部分が貼り付いてしまうような感覚にも襲われます。氷をさわると、さわった箇所が氷に貼り付くように思えますが、それと同じです。

 

パソコンに向かって仕事をしているときなど、マウスを持つ手が冷たくなって指先が針に刺されたように痛むこともあります。どうにもつらくて仕方がありません。

 

個人的には冬はきらいな季節ではありません。寒風によって身も心も引き締まる感じがして心地よささえ感じることもあります。ただ、寒中の寒さは別物です。

 

 

 

 

文学に描かれた季節 冬 『門』夏目漱石

『門』は、主人公宗助が、他人の妻を奪いとった過去の罪と対峙する物語です。このように書くと、宗助と運命との相克といったイメージがわきますが、そうではありません。過去、自分が犯した罪から救われることを願いながら、結局は何もできずに終わる人の姿がこの小説では描かれます。運命と戦うのではなく、状況に流されていく人の物語というほうが正しいかもしれません。

 

背景となる季節は秋から春。ことに冬が主な舞台となります。その中から冬を描いた文章をいくつか書き出してみます。

 

円明寺の杉が焦げたように赤黒くなった。天気のいい日には、風に洗われた空のはずれに、白い筋の険しく見える山が出た。年は宗助夫婦を駆って日ごとに寒いほうへ吹き寄せた。朝になると欠かさず通る納豆売りの声が、瓦をとざす霜の色を連想せしめた。宗助は床の中でその声を聞きながら、また冬が来たと思いだした。」

 

「時々寒い風が来て、後ろから小六の坊主頭と襟のあたりを襲った。」

 

「五、六時間ののち冬の夜は錐のような霜をさしはさんで、からりと明け渡った。」

 

「通町では暮れのうちから門並みそろいの注連飾りをした。往来の左右に何十本となく並んだ、軒より高い笹が、ことごとく寒い風に吹かれて、さらさらと鳴った。」

 

「正月は二日目の雪を率いて注連飾りの都を白くした。降りやんだ屋根の色がもとに復る前、夫婦は亜鉛張りの庇をすべり落ちる雪の音に幾へんか驚かされた。」

 

「障子に映る時の影が次第に遠くに立ちのくにつれて、寺の空気が床の下から冷えだした。」

(『門』夏目漱石 より引用)

 

正月に雪が降ることが書かれています。今の東京で正月に雪が降ることはほとんどないと思いますが、この作品が書かれたときはそうではなかったのでしょう。時代の違いが感じられます。

 

また、小説のなかには宗助の心にいつもわだかまっているおびえを冬の季節にあてはめて描いている箇所が登場します。

 

「年の暮れに、事を好むとしか思われない世間の人が、わざと短い日を前に押したがってあくせくする様子を見ると、宗助はなおのことこの茫漠たる恐怖の念に襲われた。なろうことなら、自分だけは陰気な暗い師走の中に一人残っていたい思いさえ起った。」

(『門』夏目漱石 より引用)

 

年があらたまる前の特別な時だからこそ、宗助の不安がより切実なものとなって迫ってきます。

 

文学に描かれた季節 冬『青年』森鴎外

『青年』は主人公の小泉純一が東京に出てきてから2ヵ月ほどの間の出来事を描いた作品です。時期は10月終わりから翌年の元旦。晩秋から初冬にかけての東京と箱根が舞台となります。

 

「今日も風のない好い天気である。銀杏の落葉の散らばっている敷石を踏んで、大小種々な墓石に掘ってある、知らぬ人の名を読みながら、ぶらぶらと初音町に出た。」

 

「諺にもいう天長節日和の冬の日がぱっと差して来たので、お雪さんは目映しそうな顔をして、横に純一の方に向いた。」

 

「刈跡から群がって雀が立つ。」

 

「常盤木の間に、葉の黄ばんだ雑木の交っている茂みを見込む、二本柱の門に大宮公園と大字で書いた木札の、稍古びたのが掛かっているのである。落葉の散らばっている、幅の広い道に、人の影も見えない。」

 

「植長の庭の菊も切られてしまって、久しく咲いていた山茶花までが散り尽した。もう色のあるものと云っては、常盤木に交って、梅もどきやなんぞのような、赤い実のなっている木が、あちこちに残っているばかりである。」

 

「十二月は残り少なになった。前月の中頃から、四十日の間雨が降ったのを記憶しない。」

 

「門ごとに立てた竹に松の枝を結び添えて、横に一筋の注連縄が引いてある。酒屋や青物屋の賑やかな店に交って、商売柄でか、綺麗に障子を張った表具屋のひっそりとした家もある。どれを見ても、年の改まる用意に、幾らかの潤飾を加えて、店に立ち働いている人さえ、常に無い活気を帯びている。」

(『青年』 森鴎外 より引用)

 

いくつか目にとまった季節の描写を書き出してみました。

 

「刈跡」という言葉が出てきます。草木を刈った跡、という意味ですが、稲刈りが終わった後の田んぼを指す言葉として使われているようです。現在の東京ではあまり見られない光景です。

 

また、天候や植物だけではなく、正月を迎える前の商店の様子も描かれています。門松が立っていたり、貼り換えられた障子が目につく表具屋があったりなど、明治の商店街の年越し風景の一端が見えるようでとても興味深く感じられました。

 

暮の秋とは 秋の暮との違いは何?

暮の秋とは秋が終わる時候をいいます。晩秋の頃をさして使われる季語です。これに対して秋の暮とは秋の一日が終わるときを指します。秋の夕暮といえば秋の暮のことになるのです。

 

使われている言葉は同じでも、順序を変えると意味がまったく違ってくるというのは面白いと思います。ただ、暮の秋の傍題には、秋暮る、という言葉があります。こちらも秋の終わりを指しているのですが、字面通りでは、秋の暮、と同じ意味のように思ってしまいがちです。使う際には注意しなければなりません。

 

さて、暮の秋に似た言葉としては、行く秋、秋行く、秋惜しむなどがあります。いずれも過ぎていく秋を惜しむ心を前面に押し出している言葉です。歳時記には暮の秋に比べて詠嘆的である、と書かれています。行く秋を暮の秋を擬人化したもの、と書いている歳時記もあります。

 

暮の秋からも秋を惜しむ心は感じられるのですが、それ以上に心の思いを感じさせる言葉として、行く秋や秋惜しむがあるのでしょう。

 

『ソロー日記 秋』H.G.O.ブレーク編

H.G.O.ブレークが編集したヘンリー・ディヴィット・ソローの日記を読みました。春夏秋冬の季節ごとにまとめられた日記で、今回読んだのはそのうちの秋の部にあたります。9月の末から12月の終わりまでが収録されており、秋から冬にかけてのウォ―ルデン湖周辺の季節の変化が抒情的な筆致で描かれています。

 

とにかく、読んでいて気持ちが好い本です。日記のなかには様々な動植物の名前がたくさん登場します。私はそのほとんどについて知識がないのですが、そのことが苦になることはありません。ひとつひとつの形状よりもそれらが一体となった自然そのものの描写のほうに心が魅かれるからです。

 

「ヒイラギガシのある平原は濃い赤であり、灰色をし枯れたホワイトオークの葉と混じり合っている。コガラも勇気づけられ、暖かい岩の上のほうでさえずっている。カンバ、ヒッコリー、ポプラなどは湖のまわりの丘の斜面で小さな無数の炎のようである。そして湖は秋の色をした森と丘で囲まれ、今もっとも美しい。」

(『ソロー日記 秋』H.G.O.ブレーク編 山口晃約より)

 

日記ではこのような描写が続き、文章の流れに身をゆだねていくことに夢中になってしまいます。頭の中で、実際には見たことのないコンコードの秋が広がっていくようです。想像の世界に遊ぶ、という言葉を聞きますが、その意味がわかるような気持になります。

 

さて、ソローの日記を読んでいると、彼がより良い生活を送るためには足るを知ることが大切、ということを考えているのではないか、と思う箇所がいくつかでてきます。

 

「果実はどんなものでも集める。そういった生活の素朴な技能をたえず実践することを、私は熱望してきた。だがもしもあなたが節度をわきまえず、必要以上の量を集めることに骨を折るようであるなら、小麦の大量の収穫量でさえもつまらないものになるだろう。

 私たちの暮らしが誠実になされるなら、おのずから他の楽しみも見出される。」

(『ソロー日記 秋』H.G.O.ブレーク編 山口晃約より)

 

必要以上のものは求めず、節度のある生活を送っていく。ソローに限らず様々なところでいわれていることですが、実際には難しいことなのでしょう。ただ、現代の社会が抱える問題の原因の多くが、この点にあることを思うと、せめて自分だけでも襟を正す必要があるのかな、と思いました。

 

秋天拭うがごとし

秋天拭うがごとし」とは、国木田独歩の名作『武蔵野』に描かれた秋の情景です。武蔵野の美を叙述するにあたって、独歩が自身の書いた日記を参照しているのですが、その中の一節となります。原文はもう少し長く、

 

秋天拭うがごとし、木葉火のごとくかがやく」

(『武蔵野』国木田独歩 より引用)

 

とあり、青く澄み渡った秋の空と炎のように赤く染まった木の葉とが目に浮かんでくるようです。

 

ちなみに、この日記が書かれた日付は9月21日。現在の感覚からすると空の青さは別として、紅葉の部分については少し違和感を覚えてしまいます。『武蔵野』が書かれたときにはすでに暦が新暦へと切り替わっており、独歩が旧暦で日記をつけたとは考えられません。

明治時代は9月も半ばを過ぎるとすでに樹々の葉が赤く色づいていたのでしょうか。現在との違いを感じます。

 

さて、「秋天拭うがごとし」ですが、文字通り拭われたようにきれいな秋の青空のことをいいます。なぜ、秋の空がきれいに見えるのかといえば、この時期に大陸からきて日本を覆う高気圧が乾いていて水蒸気が少ないためとのこと。水蒸気が少ない分、空気の透明さが際立つということのようです。

 

秋天拭うがごとし」を言い換えると、澄んだ空気のもと、雲一つない秋の上天気ということとなるのでしょう。そのような日にあう言葉をさがしてみると、

 

秋日、秋澄む、秋気、爽涼、秋麗、秋色、秋日和、秋高し

 

など色々でてきます。この他、詩や小説のなかにもぴたりとくる描写があるかもしれません。そういった言葉をさがしていきたいと思います。

『二百十日』夏目漱石

夏目漱石の『二百十日』を読みました。主人公の圭さんと碌さんの会話がかけあい漫才のようでとても面白いです。これまで何回か読んでいるのですが、状況の描写がなくても会話だけで十分に作品が成立するということがあらためてわかります。漱石の筆力の成せるワザでしょう。

 

「初秋の日脚は、うそ寒く、遠い国の方に傾いて、淋しい山里の空気が、心細い夕暮れを促すなかに、かあんかあんと鉄を打つ音がする。」

 

「一度途切れた村鍛冶の音は、今日山里に立つ秋を、幾重にの稲妻に砕く積りか、かあんかあんと澄み切った空の底に響き渡る。」

(『二百十日夏目漱石 より引用)

 

二百十日』の冒頭に登場する描写です。秋の冷たく澄んだ空気のなか、鉄を打つ音が実際に聞こえてくるようです。このような文章を読むと日本の四季はいいな、と心から思います。

 

さて、『二百十日』は「金力や威力で、たよりのない同胞を苦しめる奴等」「社会の悪徳を公然商買にしている奴等」に対する怒りをぶつけた小説です。面白いのはそういった「奴等」を倒すために血を流さない革命をやるといっているところ。そこをもう少し具体的に示したのが『野分』なのでしょう。

 

ただし、制度を変えてもそれを運用する人間が変わらなければ意味がない。漱石がエゴイズムの問題を掘り下げていったのも、その点に気がついていたからではないでしょうか。

 

興味深いことに、漱石は最後の作品『明暗』で社会主義者を登場させます。『二百十日』で示した社会制度の変革について、漱石は再び目を向けるようになったのかもしれません。