春分は二十四節気の春の部にある言葉です。春分の初日は昼と夜の長さが同じであり、秋の秋分初日といわば対になっています。どちらも太陽が地表を照らす時間がほぼ同じだからです。
しかし、秋分初日のほうが夏の暑さを引きずっていて気温が高いとされているのに対して、春分は冬から春への移行期にあたるため、気温は秋分初日よりも低くなります。
この他に、春分初日を中日とする前後3日間、合わせて7日間は春の彼岸と呼ばれ、各地の墓苑はお墓参りをする人々で賑わいをみせます。
ここでは、そんな春分について解説します。
春分はいつ?
春分は毎年3月20日から4月4日頃までとなります。ただし、日付が特定されているわけではなく、年によって1日ないし2日程度ずれることがあります。その理由は、二十四節気の決められ方によるものです。
二十四節気とは、太陽の動きを基に農作業の指標となるように考えられた暦のことをいいます。春夏秋冬の4つの季節をそれぞれ6等分して全体を24に分け、それぞれに名前をつけて、日々の暮らしの指標としたのです。
二十四節気は太陽の動きを基準にして作られた暦であるため、その日取りには毎年いく日かのずれが生じます。春分の日取りもそのずれに応じて決まるため、日付が決まっていないのです。
春の部は、立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨の順に並んでおり、春分はそのうちの4番目となります。
春分の意味
春分とは、初日に昼と夜の長さが同じとなり、それ以降徐々に昼が長くなっていく時期のことをいいます。
昼の長さがもっとも短くなる冬至を経て、日脚が伸びていき、春分に至って昼夜の時間が拮抗。やがて、昼の時間が増えるとともに太陽の光によって地表が温められていき、桜満開の春本番へと季節が移っていく。
春分は冬から本格的な春を迎える分岐点となる時期ということができるでしょう。
春分の行事
春分初日は「春分の日」として国民の祝日となっています。また、この時期は春の彼岸とも重なります。
春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」という意義をもった国民の祝日です。いわば、春になり姿を現し始めた様々な生き物に象徴される自然の息吹を感じる日ということができるでしょう。
太平洋戦争前、この日は9月の秋分の日とともに、春季皇霊祭、秋季皇霊祭として皇室の先祖を祭る国民の祭日とされていました。戦後、皇霊祭に代わり春分の日として、(秋は秋分の日として)国民の祝日となったのです。現在でも春季皇霊祭、秋季皇霊祭はともに皇室の大切な行事として毎年行われています。
春の彼岸
春分は春の彼岸と重なります。
彼岸とはなくなった先祖の住まうあの世のことをいい、太陽が沈む西にあるとされてきました。いわゆる西方極楽浄土があるとされる場所です。これに対して生きている私たちが住む世界を此岸と呼び、彼岸の反対側、すなわち東にあるとされます。
春分の日は、昼と夜の長さが同じところから西の彼岸と東の此岸とが通じやすい日といわれ、先祖との交流もしやすくなるといわれています。そのため、春分の日を中心とした前後7日間を彼岸と呼び、お墓参りなどをして先祖を供養する日とされてきたのです。
具体的には春分の日の3日前を彼岸の入り、春分の日当日を彼岸の中日、彼岸の中日から3日後を彼岸の明けと呼んでいます。一般的に、お墓参りは彼岸の明けまでに行うものとされていますが、必ずしもそれにこだわる必要はないようです。大切なのは形式ではないので、忙しかったりお墓が遠方にあったりして行けない場合には自宅で供養をしてもよいとされています。
もともとは二十四節気と彼岸との間には何の関係もありませんでした。しかし、太陽の動きによって農事暦と先祖を祭る祭祀とが結び付き、現在みられる形となったのです。
まとめ
春分について解説してきました。昼と夜の長さが同じという春分初日は、本格的な春の始まりを示すとともに、彼岸という形で日本の祭祀にも影響を与えています。春分の日には暖かな春の日差しのもと、なくなった先祖をしのび感謝をするためにお墓参りに出かけるのもよいかもしれません。